春の巻
本日未明、長年愛用した腕時計が亡くなった。
死因は多分、電池切れ。
1:28を指して止まっている時計を見ながら、これを目覚まし時計にしてなくてよかったと心底思う。
丸い電池買いに行くのめんどくさいよね。滅多に使わないし。普通に単四電池とかで動いてくれればいいのに。
春眠暁を覚えず。
今日も目覚まし時計のアラームは聞こえない。
JR山手線の新大久保~新宿間の中央線と立体交差する場所に桜の木が1本何故か生えているのだが、今日見たら完全に葉桜になってた。2週間前はまだ6分咲きくらいだったのに。時の流れは残酷かもしれないが、逆に年中桜が咲いていたら趣のへったくれもない。
3月はずっと続かない。
ずっと真夜中ではいられない。
春は出会いと別れの季節だなんて言うけれど、僕にしてみれば圧倒的に春は別れの季節だ。
別れなんて一瞬でやってくる。春の優しさに心浮かれてうっかり人間関係の継続申請をし忘れると、あっという間に、ほら元通りである。年間パスポートと一緒。新規発行には手数料がかかります。お気をつけください、ってか。
春は小さい。
夏や冬みたいに誰でも見える季節じゃない。
桜が咲いたとか
すずめが痩せたとか
雨上がりのアスファルトのにおいが温かくなったとか
小さな春はいつでもそばにいるが、
気がつくと夏はもうそこまで来ている。
ある日、親しい友人から一言「春が来た」とメッセージがきた。
あの娘は春に出会えたのだ。
おめでとう。
気づかざる者にはこれくらいしか言えることがない。
せいぜい長い夢を見てくれ。長い長い、夢を。
思いのままに筆を走らせたら(実際は液晶の上を親指が走っているにすぎないが)、とても稚拙で脈絡のない文章になってしまった。とても人様に見せられるようなものではないが、これも僕なので仕方ない。許してくれ。僕は疲れている。
こういうところに文章を書くことで、自分の思考とか文章の書き方を改めて見直すきっかけになると信じている。きっと1週間も経てば書く内容など無くなるのだ。同じところをぐるぐるぐるぐる回り続けて、一向に前に進めない。推進力を失ったことに気づかなければ、前に進むことはできないのだ。果たしていつまで続くのか。三日坊主の正念場は近い。
春よ、遠き春よ。
瞼を閉じてもなにもないぞ。