電話の巻
電話をするのが苦手だと言うのは僕が現代っ子だからなのだろうか。
現代っ子という単語ひとつに一括りにされるのはあまり好ましいではないが、兎にも角にも僕は電話をするのが苦手だ。
アルバイトの面接申込の電話も苦手だし、
親戚にかける電話も苦手だし、
友人との長話もそこまで得意ではない。
普段の何気ない生活の中に、電話は急に水を差してくる。
必要のない無駄に多いな音で僕らを呼びつけ、受話器を取るのを急かしてくる。
受話器を取るとそこには遠く離れたどこかにいる誰かわからない人の声が聞こえてきて、いきなり僕に語りかけてくる。
その恐怖たるや。
遠隔地との音声通信を可能にしたのが電話の売りかもしれないが、電話を介してしまうと相手の空気感も自分の空気感もなかなか相手に伝わらない。
電話をかけてからしばらくはお互い目が見えない中で音声だけで互いの距離を計っている。
そんなことをいとも容易くやる人には本当に尊敬の念しかない。
相手と通話するのも一苦労だが、余計に困るのは自分の喋っている内容が自分の周囲の人間に筒抜けなことである。
家にいる時の自分と外にいる時の自分が一緒の人は全然関係のない話なのかもしれないが、僕のように外と内とそれまた別にと、様々な方向に様々な自分を持っているタイプだと周りに電話を聞かれるのはとてもしんどい。
例えば家にいる時に友人から電話がかかってくるとしよう。
家にいる時の自分で過ごしているのに、受話器を取った後の僕は友人と話す時の僕に入れ替わっている。
その僕は家にいる時の自分では全然ないし、家の人にもあまり見せたことはない。
かといって友人にも家にいる時の自分を見せたことはないし、家にいる時の自分で話すことは決して容易いことではない。
電話をするとひとつの空間に2つの自分が存在するはめになってしまう。
このめんどくささ、そしてどこからか湧き上がる恥ずかしさ。
周りの人は絶対にこんなことは気にしてないはずなのにな。
こんなことをいちいち考えているから電話をするのが苦手なのだろうか。
僕はそういうふうに複数の人格を使っているし、それをごちゃ混ぜにしたくない人だから、そのせいでこういう細かいところまで変に考えてしまう。
ああめんどくさい。
本当はいつでも自分でいたいのに、自分の中の僕がそれを許してくれない。
電話は1人の時にするのが1番だなぁ。