独り言

本当に独り言です

写真の巻

どれだけ技術が進歩して、

素数が上がったとしても、

スマホのカメラで写真がうまく撮れないのは、

僕の腕がないせいなのだろうか。

 

どんなにいいと思った瞬間があっても、

僕のスマホのカメラは決してそれを映してくれない。

しいて言うなれば、

「僕がいいと思った瞬間」を映してくれない。

まぁ当たり前と言えば当たり前である。

なんせ僕がいいと思った瞬間は不可逆的に現在進行形で動いており、

それをスマホのカメラが後から追いかけて撮ることは到底不可能である。

 

さらに言えば、

僕がいいと思った瞬間を捉えるのに、

カメラは感覚が足りなすぎる。

カメラでできることなんて、

せいぜい画角をいじったり光の量とかシャッタースピードとかエフェクトを変えたりするくらいだろう(僕の知識不足であったら申し訳ない。間違っているなら直ちに教えてもらいたい)。

それを使いこなせば、

カメラは我々が普段見ている世界よりもより素晴らしい世界を見せてくれる可能性もある。

例えば星空などがそれにあたるだろう。

しかし、

僕がいいと思った瞬間には、

見た目以外のカメラに収められないコンテンツが豊富すぎるのだ。

 

例えば風。

カメラは空気の流れを映すことはできない。

木の葉だったり、

水面だったり、

風を“ 再現する ”ことはできるけど、

カメラでは僕の感じた風は伝わらない。

 

例えば気温。

カメラは温度を映すことはできない。

暑そうとか寒そうとか、

気温を想像させることもできるかもしれないけど、

カメラでは僕の感じた気温は伝わらない。

 

例えば音。

カメラは音を映すことはできない。

映像として残せば別だが、

写真においては音を想像させることすら怪しい。

カメラでは僕の感じた音は伝わらない。

 

カメラは瞬間を切り取るなんて言うけれど、

現実の瞬間を切り取っても、

手元に残る写真は夢でしかないのだ。

カメラの持つ視覚というひとつの感覚だけでは、

現実を切り取るには足りなすぎる。

 

風がきもちいい。

少し湿った、

けど優しい海風。

腕に塗った日焼け止めの甘いにおい。

風でなびく前髪からするシャンプーのにおい。

あの人のにおいがする。

つないだ手の温もり。

ひんやりした廊下のフローリング。

あの日見た夢。

カメラはなにも切り取れないし、

写真にはなにも残らない。