独り言

本当に独り言です

同調の巻

最近、口にするものが全て甘く柔らかく感じる。

生活での主食がパンになっているから仕方のないことなのはわかっているけど、パン以外もだいたい甘いしだいたい柔らかい。

というか、丸いのだ。

角がないのだ。

みんな棘のない丸まった形をしていて、穏やかな表情をしているのだ。

少しくらい個性があって尖ったやつがいてもいいのに、そういうやつが全然見つからない。

ああつまらない。

これなら何を食べても一緒じゃないか。

 

食べ物だけの話じゃないけど、なんていうかみんながみんな見えない「平均」を目指しているような気がする。

大衆消費社会だとか規模の経済だとか、詳しいことを言うつもりはないけど、ありとあらゆるものが同質化してきているように感じる。

世間の人々はそれを「モラル」だとか「デフォルト」だとか「当たり前」だとか言うけれど、誰がそれを決めたのだろうか?

 

みんながみんな同じ方向を目指しているという幻想に取り巻かれて、その流れに乗れない人を下に見たり、蔑んだりして、敬遠するようになってしまった。

というかずっと前からそうだったことに、僕が今更気づいただけなのかもしれない。

 

みんなで同じような服を着て、同じようなものを食べて、同じような暮らしをして、同じように死んでいく。

そんな同調の成れの果てのような世の中では、同調の圧力を受けながらもうまく別の潮流に乗り換えようとする人もいる。

みんなと同じことを嫌って、だけどみんなと違うことは怖くて、「同じ」の中で違いを見出そうともがいている。

その結果、いくらかは「同じ」の範疇を飛び出して、異端だと呼ばれ、同調の潮流から完全にドロップアウトしてしまうが、稀に「同じ」と「違い」のハイブリッドを生み出すやつもいる。

しかし、実は周りの人も同じように「違い」を求めていて、誰かの作った流れに乗って、「違い」を目指す。

それを人々は「流行」というのだ。

 

結局、「同じ」の中に生まれた「違い」は「同じ」の中に取り込まれて、いつしか新しい「同じ」が形成される。

その繰り返しでしかないのだ。

 

人々は完全な「違い」を畏れている。

というか、完全な「違い」を得ることで周囲から孤立することを恐れている。

僕もまたそんな人のひとりで、

「違い」を求めているのに、

「同じ」であることに甘んじている。

 

結局人はひとりでは生きていけない生き物なのだ。