独り言

本当に独り言です

虚無感の巻

久しぶりにYouTubeで動画を見て時間を潰してしまった。

なんとなく過ぎ去ってしまった僕の1時間。

とても無駄な気がして、

見終わった後の虚無感に浸る。

恐ろしいくらい生産性のない時間だった。

あれだけやることがあって忙しいと言っている人の時間の過ごし方じゃないな。

ほんと、なにやってんだろ。

 

そんなこんなで肩までどっぷり虚無感に浸かってしまった。

自分にはなにもかもがあるようで、

実際はなにもない。

 

星野源の“Nothing”という曲の歌詞の一節を引用する。

止まない愛を知って

世界色付き出して

命よ続けよ

いつも気づいていた

君に渡せるものが

馬鹿げた僕には

何もないな

 

変わらぬ愛を知って

瞳輝き増して

時間よ止まれよ

君を誇ることで

私は生きているって

呆れた

本当さ

何もないな

 

書いてて思ったけど、

この曲の歌詞、

一人称が“私”と“僕”で2つあるんだな。

なんでだろ。

今度考えてみよう。

今これを考えるには、

僕の頭の中には何も無さすぎる。

 

やはり僕は自分大好き人間なのかもしれない、

と今日ふと思った。

自分が傷つかない方法をずっと探しながら生きている。

人と知り合うと遅かれ早かれ自分に害を与えると思っているから、

人間関係の最終到達地点はいつも“嫌いになる”に落ち着く。

最初から嫌いな人はきっと最後まで嫌いだし、

最初は好きな人も(サークルの人がうるさくなりそうだという過剰な自意識が働いたので追記すると、この好きな人は恋愛的な意味ではなく人間的な意味である)、

最後はきっと嫌いになる。

嫌いになる時期まで来てないからまだ好きな人であるわけで、

結局誰も彼も僕にとっては嫌いな人以外になり得ないんだと思う。

だってそれが一番自分が傷つかない方法だから。

 

自分が絶対だと思い込んで、

自分が正解で、

自分のことがかわいいと思っているから、

最終的に他人を下に見ることで、

自分の形を保っているんだと思う。

 

時間がそうであるように、

人間関係も不可逆的だと思っている。

一度過ぎたものに二度はないし、

壊れてしまったものは元に戻らない。

嫌いになってしまった人は、

二度と好きな人に戻ることがない。

なんでこんなに不器用なんだろう。

なんでもっと他人を愛せないのだろう。

中身がないハリボテは、

愛を知るにはまだ早いのか。