独り言

本当に独り言です

恋の巻

何故かサークルの会室に、

松岡和子訳の『ロミオとジュリエット』が置いてあったので、

知っている部分だけ掻い摘んで読んでみた。

 

と言ってもミーハーな私の知るところなどたかが知れていて、

バルコニーに佇むジュリエットと、

庭に忍び込んだロミオの一幕で、

ジュリエットの「あぁどうしてあなたはロミオなの」という、

かの有名な台詞くらいしか知っている所がない。

とりあえずその一幕を通して読んでみる。

 

400年ほど前に書かれた英語の文章が、

長い時と距離を経て、

言語の壁を越えて、

今自分の手元にあることを考えると大変感慨深い。

ロミオとジュリエットの互いを思う台詞の一言一言に、

シェイクスピアがどれだけの想いを込めているか、

日本語訳を読むだけでもひしひしと伝わってくる。

 

恋とはいかなるものか。

愛とはいかなるものか。

一言では語り尽くせぬこの感情に対し、

あらゆる表現方法を講じて説明してもまだ物足りない。

必要に多くなってしまったその台詞の端から端にまで、

ふたりの恋情が詰め込まれている。

その表現のひとつひとつに感嘆せざるをえない。

 

別になにかひとつに関して言えることという訳ではなく、

むしろ全てのものに対して言えることではあるが、

言葉にすることは非常に難しい。

まして感情ほど、

筆舌に尽くし難いものはないだろう。

 

自分の感情を人に理解してもらうために、

どれほどの文字数を必要とするか。

途方に暮れるような、

ひたすらに長い文章を書き込んだとしても、

きっと私の気持ちは誰にもわかることはない。

それは誰に対しても言えることだし、

いくら共通の言語を持ち合わせていようとも、

いくらその言語を流暢に使うことができようとも、

決してできることはない。

私もいくら読んだとはいえ、

ロミオとジュリエットのふたりの心情を、

完全に理解したとは言い難い。

 

我々にできることは、

ただ相手の表現を受け入れ、

相手の心情を推し量り、

それに寄り添おうと努力することだけである。

それは終わりのない努力であるし、

決してどこかにたどり着ける訳でもない。

 

恋も然り、

愛も然り。