独り言

本当に独り言です

等身大の巻

寝過ぎて身体が重く感じるくらいだけど、

なにがともあれ生きているので、

よしとしましょう。

 

ベッドで横になりながら、

半ば今後のこと、

半ば過去のことを考えつつ、

ウトウトしていたんだけど、

その中でふと思ったことがあって。

 

何を思ったかって、

世間から見た自分のイメージと、

自分の実態のズレを、

どうやったら少なくできるかなってことなんだけど。

 

いい意味でも悪い意味でも、

世間と自分の間に確実にズレは生じるんだけど、

そのズレが大きくなりすぎると、

世間が勝手に欺かれた気持ちになったり、

自分が勝手に欺いた感じになったり、

どちらにしても負担がでかくなる。

 

でもそこでズレが生じるのは仕方ないから、

そのせいで生まれた誤解に関しては、

誰も悪くないはずなんだわ。

 

だけど最終的に誤解が生じたら、

誰かが何かしらの形で悪い思いをするし、

はっきり言ってないならない方がいいじゃん。

 

だからどうしようって考えたら、

自分が世間のイメージに限りなく合わせるか、

世間に自分の実態を限りなく晒すかの、

どっちかになると思う。

 

前者は自分の負担がめちゃめちゃでかいけど、

実際に成功させたらめちゃめちゃ楽ではあると思う。

齟齬がないって、

多分ものすごく生きやすい。

 

後者は前者より現実的だけど、

これを達成するのは不可能だと思う。

だって何をどこまで晒しても、

“あなた”は“私”になれないもの。

 

この前英語の授業で、

“What makes you “You” ?”って聞かれて、

咄嗟に“Secrets”って答えたんだけど、

結局人の知らない自分があるからこそ、

自分が確立されているわけで、

みんなが完璧に私のことを知っているなら、

それって私の存在意義が失われるじゃん。

 

だって全部知ってるなら、

いつでも“あなた”は“私”になれるんだよ?

それって気持ち悪いことじゃない?

 

だから自分を定義するのには秘密が必要だし、

秘密が多すぎると人を欺いてしまう。

そのバランスって難しいんだよな。

 

でも最近1つ感じたことがあって、

このブログは私を開示するコンテンツとして、

非常に優秀な働きをしてるってこと。

 

ひとりひとりに対して対応は変わるから、

普段“あなた”に見せている私の姿が、

私の全てではないけれど、

普段からあまり見せていない、

私の“核”みたいなところが、

ここにはあるから。

 

できるだけここには、

等身大の自分を映したいと思っているし、

そういう場所にここがなれば、

それが1番いいかなって。

 

久しぶりに長く書きすぎて、

何が言いたいのかわかんなくなっちゃったな。

それでは。