独り言

本当に独り言です

ドラマの巻

このタイミングでこういう話題に触れるのは、

各方面で物議を醸す可能性もあるので、

もしかしたらしない方がいいのかもしれないが、

今日一番心が動いたのはこのことなので、

書いてみるとする。

予めこれだけは言いたいのだが、

これを通じて誰かのことを誹謗中傷する意図は一切ないし、

私の好みの問題なので、

傷つくくらいなら読まない方がいい。

ただの一個人の意見として、

そんな意見もあるのかと思ってくれるくらいでいいのだ。

 

さて、

私はサークルでラジオドラマの脚本を書いている。

辞書で「ドラマ」と調べると「戯曲」という訳が出てくるので、

戯曲について調べてみたらこれまた様々な訳があったわけだが、

ブリタニカ国際大百科事典の訳が割と気に入ったので、

一部抜粋させてもらう。

 

戯曲とは、俳優によって舞台で演じられることを意図して書かれた文学作品。(中略) 戯曲は普通、葛藤とその解決を描く劇的物語を内容としている…(後略)。

 

私にとってドラマというのは、

その話を通じての人間(登場人物が人間でない場合もあるが)の成長など、

“変化”を楽しむものであって、

ただ楽しいとか、

面白いとか、

泣けるとか、

そういう話ではないのだ。

 

話の中で登場人物は確実に何か変化するし、

それに触れることによって、

なにかを感じとることもできる。

そういう“変化”の引き起こす感動を私はドラマに求めているのだ。

 

だから私が書くラジオドラマの脚本は、

基本的に登場人物の変化があるし、

自分なりに聴衆に対して伝えたいこと、

感じ取ってもらいたいことがあった上で作られている。

 

別にただ面白い、

笑える物語があることを否定はしないし、

そういう物語が書けることもひとつの才能ではあるので、

それに関して私がとやかく言える立場ではないことは十分承知しているが、

それを私は楽しいとは思えても、

“面白い”とは思えない。

だってそれは、

私の思う“ドラマ”としての深みがないから。

 

表層的な面白さが必要でないわけではないけれど、

表層しかない物語はきっとすぐに忘れ去られてしまうし、

それは他人に何かを与えるというよりも、

ただ少し日常を豊かにするコンテンツであると思う。

 

私はそうじゃなくて、

ちゃんと“ドラマ”として脚本を書いて世に出す以上、

何かを人に与えたいし、

受け取ってもらいたい。

享受はしなくても、

理解はしてほしいなって。

 

そう思っただけ。

 

それでは。