アイデンティティーの巻
最近身の回りの人がアイデンティティーについて悩み苦しんでいるので、
今日は自分のアイデンティティーについて考えてみる。
私の場合だけど、
「私はこうあるべき」みたいな、
変わらない自分の核みたいなのは全然なくて、
いつでも「今を生きている私」が私のアイデンティティーだし、
「今を生きている私」がいちばん大切だし楽しい。
まぁもし自分の核を作らなきゃいけないとしたら、
それはきっと今までの「今を生きている私」達の集合体だったり共通点だったりするわけで、
そういう観点で考えると私のアイデンティティーは、
「自分がやりたいと思ったことをやって、ついでに最低限のやらなきゃいけないことをやる」ことなんだろうなぁ。
アイデンティティーというのを、
自分を支える“軸”と考える人もいるけれど、
その軸って必ずしもずっと同じじゃないし、
ひとつでもないと思う。
私にとって、
アイデンティティーっていうのは、
割と自分の“足跡”であって、
その時自分がどこをどう歩くのかによって決まるものだと思っているし、
その足跡が最終的に人間の形を保っていればいいんじゃないかなとも思っている。
だから私は自分がいちばん正しいと思っているところもあるんだろうなぁ。
だって私がどう歩くかなんて私の自由じゃない?
親の敷いたレールの上を歩くとかいう表現もあるけれど、
自分以外の誰かが決めた歩き方に従って歩いてるのって、
とても窮屈なことだと思うし、
そんな歩き方をしている私は、
きっと私ではない。
私はその時歩いていきたいと思った道を歩くし、
時には道無き道も歩くこともある。
そうやって通ってきた道の形が、
ある時昔通った道の形とそっくりだって気づけたら、
その道の形が私のアイデンティティーになるんじゃないかな。
私はいつでも今を生きているから、
「今を生きている私」が「私」だし、
「今を生きている私」が、
「今の私」のアイデンティティーなんだと思う。
なんでそんな風に思えるようになったかって、
私はきっと音楽の影響がとても大きいと思っているけれど、
その話を今からするとまた長くなるので、
それはまた今度。
では。