独り言

本当に独り言です

音楽の巻

というわけで話は3日前のブログに戻るんだけど、

私のアイデンティティーの形成と音楽の話ね。

 

親が元々大学でオーケストラやってたのもあって、

割と家の中ではクラシックが流れていたし、

音楽番組を見ることも多かったから、

必然的に音楽に触れることが多かったし、

親の影響でピアノも習っていたから、

音楽の授業も得意だったし、

総合的に、

音楽が好きになる環境が整っていたのかもしれない。

 

毎日のようにピアノを弾いて、

習い事の前にミュージックステーションを見て、

音楽というものが自分の“代弁者”であることに気づくのに、

きっとそんなに時間はかからなかったと思う。

 

今思えば私は前から割と“変な人”だったし、

変な人だったからこその喜びも苦しみもあったんだろうけど、

小中学生の頃は、

もっと生活の中で感じる苦痛がちゃんと苦痛だったし、

私はそれを受け流す術も持ち合わせていなかったから、

私はその都度その苦痛と正面から相対さなければならなかった。

 

そんな幼少期の私に、

苦痛に勝つ力は身についていなかったし、

逃げ道を見つけることも叶わなかったから、

いつも苦痛に負けて打ちひしがれて、

本当に死ねるはずもないのに、

“死”という行為に憧れを抱いていた時期もあった。

 

そういう時に音楽は私のことを肯定してくれる存在だった。

たまたまピアノ教室で渡された楽譜だったり、

メディアで触れるPOPミュージックだったり、

私よりもずっと“偉大な”音楽が、

異端だった私を肯定してくれた。

 

世の中には自分が知っていたよりもたくさんの音楽があって、

それぞれがそれぞれの思いを代弁しているんだけど、

異端だと思っていた私の苦しみと、

同じものを抱えている“偉大な”人が他にもいるんだということは、

幼少期の私にとって救いでしかなかった。

 

そしてその中で、

いちばん私に寄り添ってくれた音楽が、

私の大好きな、

星野源の音楽だった。

彼の音楽には、

いつも“日常”があって、

“死”があって、

“生”があった。

 

私と同じような(というと失礼な気もするが)苦しみを抱えた人が、

ちゃんと世の中に出て成功して、

生きようとしていて、

そんなことを考えたら、

私のこの苦しみも、

私のこの感情もきっと間違ってないって、

そう信じることができたし、

私も生きなきゃいけないと思えた。

とても嬉しかった。

 

その音楽との出会いについては、

また今度にしよう。

今日はこの辺で。

 

それでは。