独り言

本当に独り言です

寛容の巻

最近、

心掛けというほどのことではないが、

人に対して寛容であることを、

ちょっとだけ実践している。

 

ここでいう私にとっての寛容というのは、

相手のことを否定から入らないように頑張ってみたり、

相手のいいところを最初に1つは挙げるようにしたり、

そういう感じのことなのだ。

 

他人から肯定されたり褒められたりすることは、

特段悪いことではないと思っているからいいのだけれど、

意図して寛容であろうとしていて思ったことは、

自立していないと寛容ではいられない、

ということである。

 

これは多少私の経験則に基づいている部分もあるが、

他人に優しくするということは、

自分という軸が定まっていないとできないことなのだ。

自分の中にちゃんと軸を持っていて、

他人によってそう簡単に壊されない軸があるからこそ、

他人に対して優しく、

寛容でいられるのだと思う。

 

自分の軸というのは、

強いていえばアイデンティティーのようなものだが、

このアイデンティティーは自分の中に絶対的に存在するタイプと、

他者との間に相対的に存在するタイプがある。

 

そして後者の場合、

他人と自分を常に比較して、

そこに自分の価値を見出そうとしているので、

他人に対して優しくするというのは、

自分を相対的に劣った存在と認めることになる。

自身が劣っているという評価を積極的にする人はそういないわけで、

人よりも自分がいい立場でありたいと思うがあまり、

つい人を見下したり、

否定したりしてしまう。

これはある意味、

アイデンティティーを外部に求めることの宿命なのかもしれない。

 

それに対して前者は、

自分単体の不動の評価基準を設定できているからこそ、

評価が常に一定になりやすいし、

評価対象がなんであれ、

正しい評価ができるようになる。

外界と自身の線引きがしっかりされているからこそできる業で、

ある意味孤独なのかもしれない。

 

外部から隔てられた完結した軸があるから、

外部にも目を向ける余裕があるのであって、

外部と内部の境目を見失うような人に、

そんな余裕を求めるのは不可能なのかもしれない。

 

それこそ私も最近ようやく前者に近づいてきた部分があったりしているからこそ、

他人に寛容でいようと思えているのであって、

以前の私であれば、

そんなことはできなかったかもしれない。

まぁ私もまだまだだけど、

もう少しがんばってみようかな。

それでは。