教科の巻
飲み会の帰り道に、
急に「一番必要な教科はなんだろう」という疑問が生まれた。
「数学は必要ない」とか「国語はいらない」とか言う輩もいるが、
それらの大半は、
「自分ができない教科なんかなければいいのに」や、
「勉強するのが面倒だからいらない」
「勉強の仕方がわからないからいらない」
「学校の先生がクソだからいらない」
などの考えが根底にあるような気がする。
私は、
なんだかんだ全ての教科は必要であったし、
どの教科も重要だったように思う。
国語は、
教科書を読むこと(読まされること)でたくさんの作品と出会えたし、
様々な追体験を経験させてくれた。
問題の答えをひとつにしようとすることには納得がいかないので(特に小説文。同じ作品を読んだからといって、同じ様に読み解けるとは到底思えない)、
試験を実施する科目としてはあまり適していないような気もするが、
授業としては必要だったと思う。
それこそ日本語をろくに使えないまま大人になる方が余程問題である。
数学は、
証明問題など、
論述的な思考の養成として必要な科目であったと思う。
数学なんてただ公式を覚えて計算式を解くだけ、
のような考えの人もいるかもしれないが、
例えば与えられた式をどのように展開するか、
どういう風に組み替えるか、
その組み替えた式はどういう意味を持っているのか、
などが理解できると、
数学はもっと面白い教科になると思う。
ただ教育の現場でそういうことを教えてくれる人が少ないだけで。
理科と社会は私の場合、
小学三年生の時に分かれるまで、
「せいかつ」という授業だったが、
その名の通り生活にとても関わる科目だった。
理科は日常生活において発生する現象を解き明かしてくれたし、
それによって日常生活に疑問を持つ訓練にもなった。
社会は人生の基盤となる社会生活について、
色々なことを教えてくれた。
試験では暗記科目と思われがちだが、
それは暗記してあることがテストで問われることが多かっただけで、
言ってしまえば国語も数学も理科も、
全部必要なことは暗記しなければならない。
暗記しなければならないことが多く、
社会の授業や試験で、
暗記したことを活用する場が少ないから、
暗記科目と言われているだけで、
本質は他の科目となんら変わりがない。
特に歴史なんかは、
過去を知って現在や未来を見るための土台だと思えば、
これ程必要な科目はないとさえ思わせられる。
そんなこんなで、
学校で習ったことは意外とどれも意味があるように思える。
科目を学ぶ意義を考えずに勉強をするから、
「いらない科目」のようなものができるのであって、
本来「いらない科目」などないはずなのだ。