独り言

本当に独り言です

自殺の巻

最近の自分というのは、どうにかこうにか自分を殺せないかとくだらないことばかり考えている。

 

自分を殺すと言っても、さすがに自分の命の灯火を消すなどといった大それたことではなくて、自分の習慣や性格、考え方、この20年間をかけて集めてきた“自分という形を形成する何か”を全て捨て去って、全く新しい自分というものになれないか、ということなのだ。

 

こう考え始めたのは特にこれといった理由もないのだが、強いてきっかけのひとつでもあげるとするならば、それは間違いなく迫り来る就職活動だろう。

もしこのまま、私の学業になんら問題がなく、世間が今まで通りなんのトラブルもなく進んでいけば、来年の今頃には就職活動が解禁されているのだ。

 

1年後である。

随分先のことにも感じられるが、実際はそう遠い話でもないのだ。

 

別に私は就職活動に関して今既に動いている訳では全くないし、むしろひとつ上の代が就活であくせくしている姿を垣間見て、大変そうだなぁと思いながら横になって尻をポリポリと搔いているくらいなのだが、親がそうかと言われるとそうではないのであって、「お前はどこに就職するつもりなんだ」とか「やりたいことはないのか」とか矢継ぎ早に質問を浴びせてくることも、きっとそろそろ日常茶飯事になることだろう。

 

こういった時に「私は〇〇になりたいんだ」と一言ガツンと言ってしまえば、親も少しは静かになるのかもしれないが、そこでやりたいことも思いつかないのが大問題なのである。

 

特にこれといって何をした訳でもないのに、いざとなればなんでもできるようになると思っているし、かといってなんだかんだ結局何もできない気もするという、大きな矛盾を抱えた小生意気な餓鬼は、自分のやりたいものがない訳ではないがそれを達成するのはとても無謀だと、生半可に夢と現実の区別がついてしまっているせいで大声で夢を唱えることすらできないように自分自身に足枷をつけているのだ。

 

夢を見ることが誰に禁じられた訳でもないのに、自分で夢を夢と決めつけて現実から引き剥がし、終いには現実も夢と切り捨ててしまうほどになってはもう遅いが、この20年をかけて私はそういう思考を手に入れてしまったのだ。

私はそんな私が嫌いなのに、そんな私から逃れられない病気にかかっているし、それを少し可哀想だなと、自分自身を可愛がっている何とも無様な一面もある。

 

だからこうして、なんとか今の自分を殺して、何か別の“私”を作り出せないかと、そうするより他ないという、偏った考えに至ったのである。