独り言

本当に独り言です

ランドセルの巻

部屋の片付け週間3日目。

 

ここに来てようやくやる気が出てきているので、このまま毎日やりたいところだが、明後日明明後日と予定が入っているので、このやる気は明日までしか続かない。残念。

 

机の上を片付けていく最中で、机の上にあったものを仮置きする場所が必要であることに気づいた。

しかし床は全体の9割程を既に荷物で占められている。

仕方がないので、他の場所を一度片し、そこに片したものを入れることにする。

というわけで机を一度放置し、机の横のラックの整理に取り掛かる。

 

このラック、おそらく最後に部屋全体を大掃除したのが中学卒業時なので約5年間放置され続けていた訳なのだが、そのせいもあってか小学校の頃に使った物がたくさん置いてあり、その最上階には、小学6年間を共にしたランドセルが鎮座している。

 

7年間も使われていないランドセルには埃がたんまりと乗っていて、しばらく経ってもう口すらきいてくれないが、作りはしっかりしていて、目立った傷も少なく、チャックは滑らかとはいかないがちゃんと開き、背中のクッションもまだふかふかであった。物持ちがいいのか、それともランドセル自体の質が良いのかわからないが、購入してから約14年間、こうして当時の状態を保っていることを考えると、ランドセルというのは相当丈夫に作られているみたいだ。

たしかに、あのわんぱくな小学生が6年間使えるように出来ているのだ。大人しい小学生だった私のランドセルが14年もってもおかしくはない。

 

中を開けてみると小学校卒業時の荷物がそのまま残っていた。

連絡帳、作文ノート、夏休みの自由研究、卒業式の式次第、謝恩会の練習工程表、クラスメイトや学年全体で撮った写真集など、年季の入った当時の品の数々が所狭しと詰め込まれている。

それらをひとつひとつ手に取っては中身を確認していく。

 

普通の人は中を見て当時を振り返り、懐かしいなどと思いを馳せるのだろうが、私は中身を見る度にどうも当時の自分というか、幼い自分の姿や学校での子供騙しのような馴れ合いを想像してどうも辟易してしまって、あまり見返す気になれない。

別に思い出が無いわけではないのだが、何となく思い出したくないというか、少しばかりの嫌悪感が舌に混じって苦味を生むのだ。

 

結局ランドセルの中身を漁るのは程々にして、空いていたスペースに小学校の頃のノートを数冊詰め込み、ラックの一番下の段に封印した。

また後で開け直すことにはなるのだろうが、それは掃除の中であまりにも不必要なひと手間なのだ。