独り言

本当に独り言です

窮屈の巻

Twitterが窮屈に感じるようになってきた。

 

私自身、Twitterを始めてからまだ5年(もう5年!?)しか経っていないが、最近のTwitterは何かと窮屈に感じる。

 

5年前はまだ「いいね」が「ふぁぼ」の時代だったが、その頃は何気なく思い浮かんだことをツイートして、それを面白いと思ったり、共感したりした時に「ふぁぼ」を押し、他の人にも広めたい時などにリツイートをするのが主流だったと思う。少なくとも私のタイムラインはそうだった。

 

しかし、最近のタイムラインは、どうも意見の言い合いの戦場になってしまっているような気がする。

 

「いいね」はその人の人気度指数だったり肯定の意思表示のようなものになってしまったし(これは私がそう思っていなかっただけで、「ふぁぼ」の時もそうだったのかもしれない)、リツイートはある種の「正解」と「不正解」を拡散することで、リツイート主自身を肯定するためのツールになってしまっている。私にはそんな風に見えるのだ。

 

ただのちょっとした思想のような呟きにも批判が殺到したり、吊し上げられてリンチされたり、誰もが見る必要のなかったものが誰でも見られるようになり、さらにそこに(対象が鍵垢でない限り)誰でもアクセスできるようになってしまったことで、不要な誤爆が生まれてしまっている。

 

いいねとリツイートの下に潜在的に見え隠れする「肯定」「否定」の陰が、段々大きく、濃くなっている。そんな感覚である。

 

小さなつぶやきの場が、大きな議論の場になろうとしている。

自分で議論をふっかけてるならまだしも、知らないうちに知らない場所で議論のテーブルに座らされるのは少し怖い。

 

最近は、ついに「いいね」までもが他人に共有されるようになってしまった。

これによってさらに不要な誤爆は増えるだろうし、ツイートのリプライを制限することがその対処になるかと言われると、私はどうもそうではないような気がしてならない。

 

システム変更による功罪はたくさんあるだろうし、ここに書いた私の意見の全てが合っているとは思わない。

ただの素人の独り言が間違っていても、なんらおかしくはない。

 

ただ、私のタイムラインには、そのシステム変更の影響が悪目立ちしているように見えるし、私はそれに窮屈な思いをしている。

 

もう、Twitterは気軽に呟けるような場所じゃなくなったのだろうか。

こんな所じゃ、迂闊に思想の話もできないよ。