堂々巡りの巻
優先順位をつけるのが下手なのかもしれない。
今日お風呂に入っていて、ふとそう思った。
ついこの前まで暇だ暇だ(本当はやることがある状態から逃げているだけだが)と言っていたけど、思い返せば意外とやることもやりたいこともたくさんある。
当然、やること、やりたいことがたくさんあっても、時間は有限だから、何をやるか選択する必要があるし、それを選ぶには優先順位をつけなければいけない。
しかし、私は優先順位をつけるのが下手だ。
原因は恐らく、優先順位の基準の比重がおかしいことにあると思う。
私の場合、一番比重が重いのは、「人との約束であること(課題提出等を含む)」である。
いつからそう思うようになったのかは分からないが、人と一旦約束してしまったことは、何かしらの形で果たさなければならないと思っている節がある。
約束してしまった段階で多少自分にも責任はあるので(本当にできなそうなことは、予め断るべきである)、人との約束は基本的に守るようにしている。
まぁこれの価値観は、今まで果たさなくていい約束が特になかったことを踏まえると、このまま継続していいのではないだろうか。
問題は、その次に比重が重いのが、「自分がやりたいかどうか」であることだ。
これがいけないのは、「人と約束した訳ではないけど、将来的に自分のためになるから、多少嫌でもやっておいた方がいいこと」をやらなくなってしまうことにある。
やるのがどうしても苦痛だけど、絶対にやっておいた方がいいことなんて、たくさんある。
例えば、英語学習もそうだし、プログラミングも今後必要になるかもしれない。
現在の状況で言えば、就職活動がその代表格だ。
だけど、この価値観だと私はそれらを避けて通ってしまう。
人と約束した訳ではないからそこまで重要度も高くない、自分が自主的にやりたいことでもない、将来的に自分に必要になるかもわからないけど、それをやるのは面倒だからやりたくない。
具体的な必要性が出てこないと始められないくせに、その具体的な部分を見ないふりして生きているから、いつまで経っても始められない。
私はそういう人間である。
ここで、私はこういう人間だからもう仕方ないよね、と言って諦めてしまうのは簡単だ。
しかし、恐らくこのままだと私は、近い将来、社会のお荷物になってしまうだろう。
私の直感がそう言っている。
それゆえ、私はどうにかしてこの優先順位づけから脱却しなければいけないのだが、その具体的な方法がわからないから脱却できない。
堂々巡りである。
こんなことを考えている間に、他人との約束の期限が迫ってくる。
そっちに追いかけ回されているうちに、こんな悩みもきっと忘れ去られてしまうのだ。
この堂々巡りから脱却するためにも、私は自分のことに対して正面から向き合って、一生懸命悩む時間と体力が必要なのかもしれない。