間の巻
オンライン化が進んだことで、時間的にも空間的にも間が増えた。
人と人との距離が離れたのはもちろん、コミュニケーションの場でも間が広がっている。
これはある意味喜ばしいことで、そしてまたある意味で怖いことでもある。
例えば、オンラインの活用によって物理的、精神的な間が保たれることになった。
これによって、社会の同調圧力みたいなものが多少緩和されたり、テレワークなど生き方の多様性が増したりしているように感じる。
今まで団体の中心人物として生きてきた人にとっては少し苦しい状況かもしれないが、団体の隅にいたような人にとってこれは好機である。
主流に乗らないと生きにくかった時代から、主流に乗らなくても生きられる時代が生まれるかもしれない。
オンライン化が、社会の多様性を認める方に動く可能性も、きっとあるはずだ。
ただ一方で、間ができて主流の力が弱まっている以上、あらゆる人間が孤独に晒されることになる。
団体の力よりも、個人の力の方が強くなる可能性もある。
これを肯定的に活用出来ればいいが、生憎これを使いこなせるかどうかは各個人に委ねられているのだ。
例えば、今までは誰かが埋めてくれていた間を、これからはひとりで埋めなければいけなくなる。
そうした時には、自分がその間を楽しめるかどうかが重要になってくるだろう。
また、個人の力は更に強くなるが、その力をどう使うかによって結果はだいぶ変わってくる。
ある程度、自己表現の幅が広がるという意味ではいいことだが、これが行きすぎて自分勝手の域に到達すると、途端に外部に負の影響を与えることになる。
自分の力をどれだけ適切な範囲で使いこなせるか、また、他人の力の行使をどこまで許容できるか、そういうことに対するモラルみたいなものが、これから先、今以上に必要になってくるかもしれない。
間が増えたことによって、今まで勝手に流れていた物が止まってしまった。
今後、自分の力でそれを動かす気概がなければ、それらは永遠に止まったままになる。
我々はこのハイカロリーな生活に耐えることができるのだろうか?
答えは既に決まっている。いや、決められていると言った方が正しいのかもしれない。
我々は、この生活に耐えなければいけないのだ。
[今日のプログラミング勉強時間] 2時間
[累計] 110時間