独り言

本当に独り言です

夕食の巻

私という人間は、図体こそ麒麟のように大きいものの、心は蟻かノミか、或いはミジンコかの如く狭い生き物である。そして今日の話は、この何とも扱いにくい性格のせいで夕食にありつけないという、とても滑稽で残念な話である。

 

「晩御飯を自由に買ってきなさい」と親に言われ、1000円札を持って家を出たのは、南西の空に細い月が輝き出した夕方17時のことであった。久しぶりの暖かい天気と綺麗な空に心も浮かれ、イヤホンから流れる音楽に合わせるようにステップを踏みながら、私は軽快に街を歩いていた。

 

駅前には小さな商店街のようなものがあって、その近辺には多くの飲食店が立ち並んでいる。コロナで煽りを受けている飲食店になんとなく負い目を感じていた私は、せめてもの償いとして何かをテイクアウトしてお店を応援しようと考え、様々な店のテイクアウトメニューを見て回った。当の本人はお店の人に威圧感を与えず、かつメニューが確認できるギリギリの距離を保ってメニューを見ていたのだが、辺りが暗くなる中、帽子を深く被りメガネとマスクをつけてお店の前をうろうろする私の姿が、より一層怪しい雰囲気を醸し出していたのは紛れもない事実である。

 

駅前を彷徨うこと1時間半、私はついに目的の店を発見した。そのお店は今まで通る度に何度か見ていたものの、1度も入ったことのないへぎ蕎麦のお店だった。そこのお店のテイクアウトメニューに載っていた、へぎ蕎麦と天丼のセットがとても魅力的で、店の前でうっかり自宅にある梅酒を開けながら蕎麦と天丼を食す夢を見てしまうほどであった。

私はへぎ蕎麦を食べる決心をした。 お店を発見してから蕎麦を食べる決心をするまでに、15分程お店の外をうろついていたが、私にとってこれは日常茶飯事である。知らないお店に入る決心をするために15分もかかる、私はそういう男なのだ。

 

お店の入口は商店街から脇道に抜ける途中にあって、そのすぐ隣にテイクアウト用の窓口まであった。わざわざお店の中に入らずともテイクアウトができるなんて、なんて気前のいい店だろう、などと思いつつ私はその窓口を開けたのだが、店内は既に多くのお客さんで賑わっており、店員さんがこちらに気づく気配もない。大きな声で店員さんを呼ぶようなはしたないことはしたくはないが、そんなことを言っていればいつまで経ってもへぎ蕎麦にありつくことはできない。恥を忍んで大声で店員さんを呼び、中の客に怪訝そうな目で見られながら店員さんに手を振ること約30秒、ようやく気づいた店員さんが窓口にやってきた。

 

ようやく念願のへぎ蕎麦に会えると、私は満を持して注文を伝えるべく、意気揚々と口を開いた。しかしその刹那、中から出てきた細身の店員さんは私が口を開くより早く、非常に申し訳なさそうな弱った声でこう言った。

「すみません。今ちょっと立て込んでるんで、テイクアウトは対応できないです。」

私の夢が砕け散った瞬間だった。

 

無念にも閉じられてしまったテイクアウト専用窓口を背に、私はとぼとぼと歩き出した。あれほどまでに欲したへぎ蕎麦が食べられない、その事実は私から食欲を奪うには十分すぎるほどであって、結局私は何も買わず、少し汗ばんだ1000円札を握りしめて家路につく羽目になったのであった。

 

誰も何も悪くない、むしろ店が繁盛しているのだから喜ばしいことなのだ。ただしかし、今日思ったへぎ蕎麦は、明日思おうと明後日思おうと今日のへぎ蕎麦にはなり得ない。

月は、もう沈んでしまっていた。