独り言

本当に独り言です

自己分析の巻

春休みに入り、そろそろ就活に手をつけなければいけないと思って、自己分析というものを始めた。今更そんなことをしても遅いぞ、というご指摘は甘んじて受け入れるが、これを始めないことに就活が始まらないことも、またひとつの事実である。

 

そんなこんなで始めてみたはいいものの、この自己分析とやら、やればやるほど自分への嫌悪と空虚への不安がにじみ出るだけで、内容を書き出したノートは、自分という名のラビリンスを具現化したかのようである。「誰かが君を惑わせ 迷宮に迷い込んでも 僕はきっとその手を強く引くよ」という歌詞があるが、手を引く側の僕が迷ってしまっては意味がない。

 

改めて自分の過去を振り返ると、本当に私は大したことを何もしていない。せいぜいしたことと言えば、毎日のようにサークルの会室に入り浸ってゲームをすることと、普通の人なら興味を示さないような長距離をただただ散歩すること、毎日のように駄文を書き記しては宛もなく電子の海に放流することくらいであって、何か特異な経験をしたこともなければ、これといって生産性に繋がるような能力やスキルも何ひとつなく、むしろ生産性を下げることの方に定評があるくらいである。

3年間の大学生活で学び得たことは、片道2時間の通学はしんどいということと、終電を逃しても京王線さえ動いていれば後は頑張れば歩いて帰れるということ、意外と単位を落としてもその後の人生が極端に変わったりすることはないということくらいで、学術的なことに関しては、立て板に流す予定の水の準備もない。龍の口から水が出ることもなければ、鹿威しが鹿を驚かすこともないのである。

 

やがて自分というのはただの肉片の集合体であって、その中身は全てただの鉛なのではないか、はたまた自分はバルーンアートで作られたダックスフントのように薄く小さい存在で、腹を覗いたら背の向こうまで透けて見えてしまうくらい中身がないのではないか、という気持ちに苛まれる。しかしこれは事実なので、私はこれからこの風船の中の霞を集めて、なんとか人様に見せられる程度のものを用意しなければいけない。錬金術があれば話は別だが、少なくとも現代科学において、霞の中から金は発掘できない。誠に残念極まりない。

 

バイト先の店舗の売上を向上させるために改善案を提出したり、サークルの代表者になってサークルの深刻な問題を解決したりした学生がどれほどいるかはわからないが、こういう「ガクチカ」もいずれは用意しなければならない。前途多難の就活である。