独り言

本当に独り言です

想像の巻

想像力が足りなくなってきた気がするから、現在地とは全く別の場所を想像してみよう。

 

僕は今、電車に乗っている。

電車と言っても、山手線みたいな通勤用の列車ではなくて、トランスイート四季島みたいな観光用の列車だ。あるいは昔のSLの客車みたいなものを想像してもらえればそれでもいい。

前の駅を出発してから1時間弱くらい経っているだろうか。人里の気配は2つ前の山の向こうに忘れてきてしまった。

 

僕のいる客車は中央に通路があって、その両側に沿って畳が敷いてある。そして、車両の窓に面するように長い掘りごたつがあって、みんな中央通路に履き物を脱ぎ捨てて畳に腰掛けて、掘りごたつに入って外を眺めている。

目の前の窓からは、広い海と空が見える。空は晴れていて、遠くに小さい綿雲が見える。日差しの照り返しが少なく海が青く見えるから、時間は朝の10時とか11時とか、そのくらいかもしれない。

通路を挟んで反対側の窓からは、草原の若い緑と動植物が見えるらしい。さっき4歳くらいの女の子が「うさぎさんがいた!」と嬉々としてはしゃいでいた。

 

車内はそんなに混雑していないけれど、みんな隣のグループとは鴨川等間隔の法則よりも少しだけ間を詰めて座っている。大体は家族連れか現役を引退した主婦の集まりで、僕みたいに1人で乗っている人は少数派だ。

車内を見る限り、メガネをかけて青いジャケットと赤の蝶ネクタイを身に纏う少年や、祖父が有名探偵の人、髭をはやした英国紳士風のおじ様は乗っていないので、とりあえず殺人事件が起きる心配はしなくていいだろう。

 

列車の窓は開かないみたいで、車内に草の匂いや海風が入ってくることはない。

その代わりと言ってはなんだけど、客車のどこかでお香を焚いているらしい。ほのかに桜の香りが鼻をくすぐる。耳をすませば鶯の声が聞こえてくるような気がする。

 

僕の手元には文庫本が1冊ある。ただ、かれこれ30分以上はページが進んでいない。

僕にとって大事なのは、この悠久の時を本を読んで消化することではなく、ただぼーっと外を眺めて浪費することである。都会の喧騒を忘れ、目の前の悩みや苦しみから積極的に目を逸らし、自分の世界や今という瞬間に没入することこそが僕に必要なことであって、ここまで来て文化的営みに囚われる必要はどこにもない。そういうものは帰ってから読んでも十分に意味があるのだ。

 

電車に揺られながら海を眺めていると、段々と眠たくなってきた。

この電車がどこまで行くのか、どこに向かっているのか、僕は知らない。だけど、不思議と不安な気持ちはない。むしろ心の内は穏やかで、大きな橙色の優しさに包まれているような安心感と充足感がある。

僕はゆっくりと目を閉じる。海の青が瞼の裏で滲んで暗闇と混ざって淡く光り、そして消えていった。

 

電車は走る。ここではないどこかへ向かって。