水風呂の巻
小さい頃、水風呂に長く浸かるのが好きだった。
最近のサウナブームの影響で、水風呂はサウナの後に入るものらしい、ということを知った。
そして、そんなことを知る由もない幼少期の私は、特にサウナに入るわけでもなく、ただただ水風呂に浸かっていた。
今考えると、父親と銭湯に行っていた影響なのかもしれない。
子供の頃の私としては、父親の長湯がたまらなく退屈だった。
普通のお風呂だと大人より早くのぼせてしまうのは仕方がない。しかし、父親と来ている手前自分だけ早く出るわけにもいかない。
そんな悩みを解決したのが、水風呂だった。
大浴場を満喫して、その一角にある小さな水風呂に向かう。
入る瞬間はとても冷たいけれど、入ってしまえば問題ない。
身体が小さいから底に座ることが出来ず、中腰で肩から下は全て水に浸かっている。
その状態で耐えるのが楽しかった。長い時は30分くらい、ずっと水風呂に浸かっていた。
水風呂に浸かっていると、見知らぬ大人が入ってくる。そういう人達は、大抵サウナを出た後に水風呂に浸かっている人達だが、当時の私はサウナの存在を熟知していないので、水風呂好きな大人が来たぞ、と思っていた。
私はもはや水風呂に慣れて、水風呂の冷たさを楽しんですらいるけれど、大人たちはある程度の時間が経つと、さっさと水風呂を離れてしまう。
私はそういう大人を見て、「なんだい、せっかく水風呂に入ったっていうのに、そんな短時間で出ちゃうのかい。意気地無しだね」と心の中で嫌味を吐き捨て、身体の大きな大人よりも水風呂に長く浸かっているという優越感に一人浸っていたのだ。
なんて心のひん曲がった少年であろう。
そして、三つ子の魂百までとは言ったもので、その精神は現在もバリバリの現役であった。
流石に今は30分も水風呂に浸かることはないけれど、特にサウナに入るわけでもなく水風呂に浸かり、サウナ終わりの大人が入っては出て入っては出てを繰り返す様を見て、「俺がここで1番長く水風呂に浸かっているぞ」という謎の優越感に浸るのが常であった。
こんなことで勝っても何にもならないのはわかっているが、私はそういうどうでもいいことが捨てられない人間なのである。