22の巻
友人に祝われるまで、昨日が誕生日であったことをすっかり忘れていた。
もはや日常生活において、カレンダーは無用の長物となってしまっている。
今日が何日であろうと、私の生活には何も関係がない。ただ、耐えきれないほどの蝉の大合唱に起こされ、卒論の本を読み、オリンピックを見て寝る。それだけである。
今、私の生活はほとんど「今」と「この後」と「明日」と「今度」の4つで構成されている。「今」何をするか、「この後」何があるか、「明日」予定があったか、「今度」何かあるような気がする、の4つさえあれば、大抵のことはどうにかなる。
私が農業に従事していれば、暦というものの重要性もまだあったかもしれないが、現代の都心部での生活において、暦ほど必要のないものはない。社会にとって必要なのは、明日が合法的に休める日かどうか、という共通認識であって、明日が何日かといった情報ではない。
こんなくだらないことを言っている間に、私も22になってしまった。
虚しい23年目の幕開けであった。