独り言

本当に独り言です

見込みの巻

あと2日で1万字書かなきゃいけないっぽいです。

余裕じゃんとか思ってたら全然余裕じゃないね。

 

でもあと2日で48時間、1日8時間は寝るから32時間、諸々の時間引いて25時間残るとしたら、1時間で400字書ければ終わるじゃん。なんだか行ける気がしてきました(いけない)。

 

実際のところ、1万字のうち8,000字は要約なので、めちゃめちゃ頑張れば明日中に8割は終わらせられると思います。そしたら残りは日曜に回してもどうにかなるし、今回は徹夜でレポートとかやらなくて済むと信じたいです。

 

そのために、今日もちょっと頑張ってきます。

締切前の巻

なんだよ〜私その気になればすぐレポート書けるじゃ〜ん、という気持ちでレポートを書いています。

 

第1弾の締切が明日に迫っているので、そんな呑気にやってる場合じゃないんですけど、思ったより書き始めたらすんなり書けそうな感じだったんで、ここからは気を抜かないで間に合わせたいと思います。

 

そして、なんだかんだずっとPCのメモか頭の中で色々考えていたけれど、普通に紙にメモした方が早いですわ。明日も全力でメモ書き倒そうと思います。

 

それじゃあ今日もちょっと急ぎなんで、また明日お会いしましょう。

では。

羨慕の巻

「21歳大学生、芥川賞受賞」

そんなニュースが飛び込んできた。

 

数千字のレポートも1日1,000文字のブログも書けずにヒィヒィ言ってる21歳大学生がここにいるが、こちらの21歳大学生はデビュー2作目にして芥川賞を取ってしまったということだから、たいそう羨ましい話である。

 

タイトルは「推し、燃ゆ」と言うらしい。同年代の人が見ている世界はどんなものなんだろうか。レポートが終わったら読んでみたいけれど、レポートと就活とこの前買い溜めした森見登美彦が離してくれないので、暫くは読めないかもしれない。

 

今はとりあえず、先送りにしているレポートに取り掛かるとしよう。そろそろ締切がマジでやばい。もっと早めに本気出してくださいよ先生〜というイマジナリー編集者の声が聞こえては来ないが、それくらい危機感を持ってレポートに向き合わなければいけない。

物件探しの巻

ついにレポートをやりたくなさすぎて、ネットで物件探しを始めるまでになってしまった。

 

社会人2年目までには絶対に一人暮らしを始めてやろうという決意を心の奥底に眠らせていた私だったが、レポートが嫌すぎてとうとう将来の生活に現実逃避の矛先が向いてしまった。

 

一応今住んでいる街にまだ用があるので、地方の会社に就職するつもりはないし、正直実家暮らしでもなんら問題はないのだが、自分1人のための空間を獲得するというロマンが私を突き動かしている。

あと、社会人にもなって実家に居候しているのもなんとなく感じが悪いし(最近は専らそういう訳でもないみたいだが)、大人になってまで毎日家族と顔を合わせているのもなんとなく都合が悪いように思えるのだ。

 

そんなこんなで地元の物件を適当にちらほら見ているのだが、大体どこも家賃は5万円前後かかるし、部屋が1Kで6〜7畳くらいなのは全然いいのだが、洗濯機は共用部に設置する所ばかりであった。一人暮らしというもののイメージが全然出来ていないものだから、まぁこんなもんかと受け入れるしかない。

自分の街を離れることを考えれば、もう少し安くて広い家も見つかるかもしれないが、如何せん私はこの街を離れる訳にはいかないのだ。こればかりは仕方がない。

 

そんなこんなで、自宅周辺で一人暮らしをしようと思ったら、どんなに部屋が小さかろうと家賃は最低でも月5万取られることがわかった。

よく家賃は手取りの3分の1くらいが目安というので、私の手取りは15万円以上が目安になるし、そうすると月収は18~9万円は最低でも必要になってくる。

普通に東京で就職して週40時間労働で月収18万円となると、もはや最低賃金を守っているのかいないのか怪しいラインであるから、相当ブラックな所にでも行かない限り、理論上は一人暮らしが可能である。

 

ここまで来たら、後は相当ブラックな所に就職しないで済むような生活を心がけるだけである。

そう信じて、私は大きな夢を膨らませながら、そっとパソコンの画面を消すのであった。

読書の巻

課題という名のストレスに滅法弱くなってしまった私は、現実逃避のために本を読むことにした。

 

本を読むということは、何かと崇高なことであるように思われがちである。そしてまた、私もそのような妄想を抱いているうちの1人だ。

本を読めば新しい知識を得ることもできるし、摩訶不思議な世界を体験することも、赤の他人になりきることもできる。最近の人は本を読まないという嘘か本当かわからない噂もあるが、本を読んでいるというステータスは、何かとアドバンテージであるかのように受け止められる。本を読んでいる人は何かと知的に思われがちだし、そこに細渕のメガネでもかけていようものなら、ますます見た目のインテリぶりは加速すること間違いないだろう。

 

しかし、このような現象は全て私の妄言でしかない。私はたまたま本を読むということがさも素晴らしいことであると思い込んでいるから、このような発言をするのであって、本を読むことよりも音楽を聴く方が素晴らしいという人もあれば、舞台を観劇する方がよいとか、新聞を読む方がよいとか、映画を見る方がよいとか、テレビを見る方がよいとか、あるいはTwitterを眺めている方がよいという人もいるかもしれない。

 

ただ少なくとも、課題を前にして時間を浪費するのであれば、私はTwitterやテレビや映画を見るよりは本を読んでいる方がまだマシだと思っている。

更に言えば、本やTwitterやその他娯楽と呼ばれるものに走るよりも、覚悟を決めて難解な課題に取り組む人の方がよっぽど崇高であって、こんなものは地べたに座り込んでイヤイヤと喚いている大きな子供の戯言に過ぎないのである。

 

そんなことを申し上げているうちに、私はまた1冊の本を読み終えてしまった。なんと愚かな男であろう。

 

窓を開けると、三日月が夜空に横たわっている。

夜はまだ長い。私は再び課題に取り組む決心をしなければならないようだ。

腹下しの巻

ついに私はキムチすら食べられなくなってしまったのかもしれない。

 

私が辛いものを食べると腹を下してしまうことはもはや至極当然のことになりつつあるが、ついにキムチで腹を下してしまった。

そもそもこの症状の始まりは、今から5,6年前、高校の近くにあった油そば屋の辣油が体に合わず、そのまま駅のトイレで30分程悶絶したことにある。この時は食後30分で発症し、ヒリヒリする肛門を労りながら電車に揺られて帰った覚えがある。

 

この時はまだこの店の辣油以外で腹を下したことはなかった。なんならここ1,2年、ここまで辛いもので腹を下すことはなかったはずである。それなのに最近は辛いものを食べては腹を下し、食べては下し、食べては下しの繰り返しが頻繁に発生している。このままいけば数年後には辛いものを見ただけで腹を下す可能性があるが、そんな肛門ゆるゆる野郎には決してなってはならない。

 

この症状、何が1番辛いかというと、辛いものが美味しいことである。口に運んだ瞬間は、香辛料のスパイシーな香りと辛味が口全体に広がり、なんとも美味しくいただくことができる。味だけを考慮すれば、私はそこまで辛さに弱い人間ではないので、辛くて美味しそうなものを見るとつい頼んでしまうのだが、決まってその数時間後には瀕死状態の肛門と感動の再会を果たしてしまう。行きはよいよい帰りは怖い、とはよく言ったものだ。

 

流石にキムチレベルで腹を下すようでは生活に支障が出かねないので、一応原因を調べてみたが、大まかに可能性があるのが、

カプサイシンのせい ②ストレスのせい

この2つである。辛いものを食べた時に発症するので、大方①が濃厚なのだが、そうなると私は永遠に辛いものをまともに食べられなくなるので、②の可能性を捨てる訳にはいかない。

 

そうだ、何もかも全てストレスのせいなのだ!この忌々しいストレスから解放されれば、私は好きなだけ辛いものを食べることができるのだ!

そう信じて、私は自堕落な生活へと舞い戻るのであった。

夕食の巻

私という人間は、図体こそ麒麟のように大きいものの、心は蟻かノミか、或いはミジンコかの如く狭い生き物である。そして今日の話は、この何とも扱いにくい性格のせいで夕食にありつけないという、とても滑稽で残念な話である。

 

「晩御飯を自由に買ってきなさい」と親に言われ、1000円札を持って家を出たのは、南西の空に細い月が輝き出した夕方17時のことであった。久しぶりの暖かい天気と綺麗な空に心も浮かれ、イヤホンから流れる音楽に合わせるようにステップを踏みながら、私は軽快に街を歩いていた。

 

駅前には小さな商店街のようなものがあって、その近辺には多くの飲食店が立ち並んでいる。コロナで煽りを受けている飲食店になんとなく負い目を感じていた私は、せめてもの償いとして何かをテイクアウトしてお店を応援しようと考え、様々な店のテイクアウトメニューを見て回った。当の本人はお店の人に威圧感を与えず、かつメニューが確認できるギリギリの距離を保ってメニューを見ていたのだが、辺りが暗くなる中、帽子を深く被りメガネとマスクをつけてお店の前をうろうろする私の姿が、より一層怪しい雰囲気を醸し出していたのは紛れもない事実である。

 

駅前を彷徨うこと1時間半、私はついに目的の店を発見した。そのお店は今まで通る度に何度か見ていたものの、1度も入ったことのないへぎ蕎麦のお店だった。そこのお店のテイクアウトメニューに載っていた、へぎ蕎麦と天丼のセットがとても魅力的で、店の前でうっかり自宅にある梅酒を開けながら蕎麦と天丼を食す夢を見てしまうほどであった。

私はへぎ蕎麦を食べる決心をした。 お店を発見してから蕎麦を食べる決心をするまでに、15分程お店の外をうろついていたが、私にとってこれは日常茶飯事である。知らないお店に入る決心をするために15分もかかる、私はそういう男なのだ。

 

お店の入口は商店街から脇道に抜ける途中にあって、そのすぐ隣にテイクアウト用の窓口まであった。わざわざお店の中に入らずともテイクアウトができるなんて、なんて気前のいい店だろう、などと思いつつ私はその窓口を開けたのだが、店内は既に多くのお客さんで賑わっており、店員さんがこちらに気づく気配もない。大きな声で店員さんを呼ぶようなはしたないことはしたくはないが、そんなことを言っていればいつまで経ってもへぎ蕎麦にありつくことはできない。恥を忍んで大声で店員さんを呼び、中の客に怪訝そうな目で見られながら店員さんに手を振ること約30秒、ようやく気づいた店員さんが窓口にやってきた。

 

ようやく念願のへぎ蕎麦に会えると、私は満を持して注文を伝えるべく、意気揚々と口を開いた。しかしその刹那、中から出てきた細身の店員さんは私が口を開くより早く、非常に申し訳なさそうな弱った声でこう言った。

「すみません。今ちょっと立て込んでるんで、テイクアウトは対応できないです。」

私の夢が砕け散った瞬間だった。

 

無念にも閉じられてしまったテイクアウト専用窓口を背に、私はとぼとぼと歩き出した。あれほどまでに欲したへぎ蕎麦が食べられない、その事実は私から食欲を奪うには十分すぎるほどであって、結局私は何も買わず、少し汗ばんだ1000円札を握りしめて家路につく羽目になったのであった。

 

誰も何も悪くない、むしろ店が繁盛しているのだから喜ばしいことなのだ。ただしかし、今日思ったへぎ蕎麦は、明日思おうと明後日思おうと今日のへぎ蕎麦にはなり得ない。

月は、もう沈んでしまっていた。