推理モノの巻
小さい頃はよく本を読んでいた。
本と言っても推理モノである。
本好きが高じて図書委員を務めた小中学生時代には、毎日のように図書室に通いつめ、図書室に置いてあるありとあらゆる推理モノを読みあさった。
本当に推理モノ以外全くと言っていいほど読むことはなかった。
普通の小説は大して面白くなかった。
推理モノの良さは、物語がひとつではないことだ。
探偵(または警察)の物語、犯人の物語、被害者の物語が互いに交差することで、真実というひとつの物語に向かっていく。その美しさたるや。これは他のどのジャンルにも真似できない。
名探偵コナンなどは、探偵の物語がメインである。犯人が用意した複雑怪奇なトリックを、主人公である江戸川コナンがいかにして解き明かすか、というのがメインテーマだろう。
対して、金田一少年の事件簿は、犯人の物語である。金田一一の推理シーンも見応えがあるが、この作品は割と謎解きのシーンで、犯人にしっかり焦点を当てるイメージがある。犯人がいかにして殺人に至ってしまったのか、何が犯人を殺人犯に仕立てあげてしまったのかが、物語の最後でかなり詳しく語られる。それゆえに話が少し重くなってしまったり、最後に犯人が自殺してしまったり、結末のもやもやした感じは拭えない。
そう考えると、シャーロック・ホームズは、被害者の物語である。最後の推理シーンに向かうために、途中でかなり長い被害者の生活の描写が入る。訳の複雑さも相まってかなり読むのに疲れる文章になっているのは間違いないが、被害者は殺されるまでどう生きていたのか、遺族はどのような思いをしているか、とても丁寧な書き方をしているように思える。
それぞれの推理モノにそれぞれの良さがあり、それぞれを好む読者がいる。
その読者の人生もまた、なにかの物語の伏線になっているとしたら感慨深い。
ちょっと短いけど今日はこの辺で。
あまり無理して書くようなものでもないし。
毎日書き手の人格が変わってるのは目をつぶってくれ。僕にも波はあるのだ。
幸いにして今日の僕は比較的気分がいい。
人と話すのが楽しい。
晩ごはんが美味しい。
帰り道が優しい。
月が明るい。
やはり継続申請をしておいて正解だったな。