独り言

本当に独り言です

動物園の巻

思い立って家を出たのが13時30分。

木漏れ日の優しさによる心の浄化。

 

特に行先も決めずに家を出たので、適当に街を歩く。

今日はたまたま動物園にたどり着いた。

 

ここは自治体が運営していて、歩くだけなら1周10分もかからないようなとても小さな動物園なんだけれど、その割にレッサーパンダフンボルトペンギンまで飼っているという不思議な場所であった。

 

最後に来たのは小学生の時だっただろうか。

あの頃はまだ出かけるのも親と一緒だったけど、親の記憶は全然ない。

自分本位なのはその頃から変わっていないみたいだ。

 

動物園の門をくぐって目の前にあるのが、動物ふれあいコーナーである。

ここには、モルモットとかウサギとかヤギとかヒツジが飼育されていて、ちょっと前までは自由に触れることができたのだけれど、コロナの影響でそれも今はないらしい。

当時の私は、太ももを覆い尽くすモルモットと、唐突に脱糞するヤギにビビり散らかしていたので、ふれあいコーナーが休止していて何故かほっとしてしまった。

 

そこから奥へ抜けると、プレーリードッグの飼育小屋がある。

朧気ながらうっすらあった動物園の記憶で、ハッキリ覚えていた動物のひとつが、プレーリードッグであった。

小さくて丸く柔らかいフォルムと、愛くるしい瞳のかわいさに、当時の私もメロメロになっていた。

日向ぼっこタイムの、ぐでっと寝転がっている姿にも愛らしさがあってとても良い。

ぷいぷいモルカーの続編は、是非キュウキュウプレカーでお願いしたいものである。

 

初めて1人で入った動物園は、全然昔と変わっていなくて、少しだけ安心感があった。

だけど、やっぱり親子連れの圧には勝てなくて、私はそそくさと動物園を後にした。

 

ああいう場所に1人でいることに、なんとなく罪悪感を覚えてしまうのはなんでだろうか。

誰にも咎められていないのに、どこかで気にしてしまう自分がいる。

 

今日の1曲

hanataba / macico - YouTube

不幸の巻

昼過ぎ、窓の外に揺れる若葉を見つける。

つい先日春がやってきたと思っていたのに、植物達は既に夏支度を始めていた。

 

明後日からは大学の授業も始まる。

時が経つのはあっという間だ。

無限にあると思っていた人生の夏休みも、気づけばあと1年しかない。

 

1つ上の代が就業していることを、Twitterで実感する。

来年、自分がそこにいるとは到底思えないけれど、今までの経験上きっと私もそこにいるんだろう。

 

自宅というタイムカプセルに封印されている私。

開いた時に懐かしんでもらえるならまだ幸せだけど、そんな時代遅れなものに興味を示す人はいない。

一瞬の幸福の後に、長い絶望が待っている。

 

「違い」が分かる人になりたい。

世の中似たような物は無限に存在するけれど、その同じ部分は見えても違う部分を見つけるのは至難の業だ。

大まかな形さえ見えれば同じ部分はなんとなく見えるけれど、違う部分は細かい所まで知らないと見えてこない。

同じ部分を探すより、違う部分を探す方が余程難しい。

 

例えば食事がそうだ。

私は食事というものに対して無頓着だから、大体何を食べても美味しいと思うし、お店や食材のこだわりなんてものはからきしない。

でも、所謂「グルメ」な人は、食材とか味付けの違いとかが分かるんだろうし、多分美味しいの先を知っているんだろう。

 

私はそういう違いが全然分からない。

違いが分からないから、同じ部分を見つけて満足している。

それはある意味幸せなんだけれど、傍から見れば不幸なのかもしれない。

 

今日の1曲

https://youtu.be/m_t9ZkT01PU

収集癖の巻

YouTubeの後で見る欄に動画が1,200件以上溜まっていたから、最近少しずつ消費しようとしている。

 

私は基本的に、気になるMVをとりあえず後で見る欄に入れておく癖がある。

ここに選ばれる基準は結構曖昧で、知っているアーティストの新曲や有名人の曲は確実に入るし、全く知らないアーティストでも、サムネイルを見てなんとなく気に入ったら、とりあえず入れておくようにしている。

 

こんな感じでどんどん追加するもんだから、あっという間に動画数も増える。

体感では、1日あたり10~20本くらいのMVが新しく追加されている。

そして、こんだけバンバン追加するくせに、その在庫を処分する日を設けていないものだから、塵も積もって今に至るのだ。

 

後で見るに追加されたMVには、視聴後に5つの配属先が待っている。

この視聴も、時間がある時は全曲フルで聴くけれど、時間がないと1:30~2:00くらいで判断せざるを得ないので、精度は割と大雑把だ。

 

配属先1つ目は、完全に自分の好みの曲やビビッときた曲をストックする「好き」ファイルである。

今までの経験上、「好き」に分類される曲は大体最初の30秒で決まる。本当に好きなコード進行やリズムが入っていれば大方ここに配属されることになる。

 

配属先2つ目は「惹かれる」ファイルである。

これは、「好き」には属さなかったけれど、なんとなくいい感じの曲だったり、時間を置いて聴き直せば「好き」になる可能性があるような曲が入っている。あと、知っているアーティストのちょっとハマらなかった曲も大体ここに入る。

 

配属先3つ目は「今後に期待」ファイルである。

これは、今の自分にはハマらなかったけれど、将来売れた時に「俺、これ有名になる前から聞いてたし」と言うためだけにストックしてあるファイルだ。別に売れなくても、後で聞き返した時に再評価されて別のファイルに移動することもある。

 

これら3つのどこにも所属できなかったMVは、基本的に視聴済みとして後で見る欄から解雇されて終わりなのだが、素人(?)のピアノ動画やカバー動画で良かったものは、「お気に入り」というファイルに分類される。

ちなみに、私は上記3つのファイルを将来楽曲を購入する時の指標として用いているけれど、「お気に入り」ファイルは完全にYouTubeで聴く専用のファイルとして使っているため、完全に別枠としての扱いをしている。

 

という訳で、私の音楽収集癖について話したところで、これから後で見る欄のストックを消費するために、毎日その日に視聴した曲の中から1番良かった1曲を選んで、このブログの最後に載せようと思う。

別に音楽的な解説とかは一切しない(できない)ので、気になった人は聞いてみてほしい。

 

あと、私の趣向全開で曲は選ばれるので、どうしても似たような曲が多く選ばれると思う。そこは許してほしいし、これきっかけで新しい曲に出会えたらそれはそれで嬉しい。あと、こういう曲聞いてみて!というのもあれば、コメント欄に書いてもらえると、もれなく私の後で見る欄に追加されるだろう(感想は良かったら言うし、悪かった言わないかもしれない)。

 

ということで、今日の1曲はこちら

向井太一 / Love Is Life(Official Music Video) - YouTube

世界の巻

ピアノを弾いている時と、何かを書いている時だけは、自分の世界に引きこもれる気がする。

 

自分の部屋が広いと感じる。

そう言っても、私の部屋はせいぜい6畳くらいの大きさしかない。

それに、自分の所有物の総量から考えれば、もう少し広い部屋が欲しいと思ってもおかしくはない。

部屋には読んでいない本や使っていない鞄、なんとなく捨てられなかった昔の教科書等が散乱しており、床は新大久保の駅前通り程の空きしかない。

 

しかし私の行動から考えると6畳というスペースはやや広すぎる。

壁に向かって設置された机に向かって座ると、背後がガラ空きなのがよくわかる。

ゴルゴ13のように背後からの襲撃を恐れている訳ではないが、机と椅子のスペースを仮に2畳と想定しても、座ると背後に残りの4畳の圧を感じる。

 

私の意識の範囲に留まるのは、せいぜい私の両手が届く範囲であって、ピアノだったり勉強だったり、自分の世界は自分の腕の中にしか存在しない。

その世界に没頭している私にとって、背後の4畳はとてつもなく邪魔な存在である。

 

2畳の空間に閉じこもって、自分の世界に没頭したい。

子供の頃はもっと簡単に自分の世界に入れたのに、既にこの歳でその限界を感じ始めている。

 

文明の進化によって自分の世界の範囲外に娯楽や誘惑が増えているのか、それとも時間の経過によって知識が増え、自分の世界より外側に思考のベクトルが向いているのか、あるいは単純に自分の世界と向き合う熱量や体力が減っているのか。

 

外界と繋がらなければいけない世界。

情報が通貨となり、我が国は常に社会という黒船の襲来に見舞われている。

安易に開国して均質化の波に揉まれるか、鎖国を貫き通してガラパゴス化するか。

私は後者を選びたいが、それを守り通せる自信はない。

選択の責任は取らなければならない。

 

波に揉まれて沈んでしまわないように。

自分が自分でなくなってしまわないように。

 

私にはもっと小さな部屋が必要だ。

世界を守れる、小さな部屋が。

キャンパスの巻

歩き方は忘れても、帰り方は覚えてるんだよな。

 

久々の通学。

駅を抜けて門をくぐると2つの新館のお出迎えにあった。元々そんな所に建物はなかったのに、あいつらは素知らぬ顔で飄々と立っている。

葉桜が風に揺れる。

 

新入りを後目に、キャンパスの奥へと足を進める。

歩き慣れた道なのに、足取りに戸惑いが見える。

この戸惑いは、ただ前を歩く集団に追いつかないよう意図的に歩幅を狭めているから起こるものなのか、それとも急に白々しい顔をしてくるキャンパスとの距離感を測り損ねているのが原因なのか。

答えは分からない。

 

一人でいる時間が長すぎて、たくさんの人がいる空間にストレスを感じるようになりつつある。

この感情は自己防衛か、はたまた羨望か。

 

キャンパスで同期と再会。つかの間の安息。孤独からの解放。

 

柵にとまった雀を愛でる。

デッキの上から広がる風景を眺める。

キャンパスの大きさと身体感覚の整合性が復元されてゆく。

 

駅前の新入り2名を除けば、キャンパスは1年前から大して変わっていない。

学部棟も、デッキ下の通路も、銅像も、ベンチも、山も。

人が勝手にいなくなっただけで、人が勝手に変わっただけで、キャンパスは何も変わっていなかった。

漠然とした安心感。広がる空。

 

またいつか、機会があれば会えるといいね。

遠出の巻

明日は健康診断のためだけに大学に行きます。

マジで1年以上行ってないから、ちゃんと登れるか不安です。足腰がボロボロになっているかもしれない。

 

久々のキャンパスだから少しくらい堪能して帰ろうかとも考えました。あのとんでもなく広いキャンパスに通うのも、下手すれば明日が最後になるかもしれません。

 

でもその一方で、せっかく出かけるならシンエヴァでも見に行った方が幾分マシなのではないかという気持ちもあります。

ちょうど健康診断終わりくらいの時間帯に、大学近くの映画館でシンエヴァをやってるっぽいので、見ようと思えば見れてしまうのが悩みの種です。

 

あとは、大学まで行こうと思うと絶対に都心を通る必要があるので、いかにして密を回避しようかというのも難しい問題です。

所要時間と金額を考えると、どう頑張っても新宿は避けて通れない。定期を持っている時は新宿通い放題というプレミアがついていたのですが、今となってはゴジラに突っ込む電車型地雷と同義です。

 

健康診断に行って病気にかかったら本末転倒だしなぁ。

かといって就活のために健康診断は外せないし、どうせやるなら大学で無料でやってもらった方が色々楽ではあるし。

なんて悩ましい問題なんだ。

 

ちゅうわけで面倒なことは多いですが、明日は一応大学に行きます。多分シンエヴァも見ます。

珍しい遠出なので、最大限周囲に気は配りつつ、それなりに楽しめたらと思います。