独り言

本当に独り言です

祈願の巻

明日から共通テストということで、習い事の後輩に合格祈願と称して恩の押し売りをしてきた。といっても普段書道で使っている練習用紙の端切れに、「合格祈願」と書いて渡しただけなのだが。

 

一応恩の押し売りとて、彼らの受験が無事に終わることは私にとっても本望である。

ただ、あわよくば志望校に合格した際に私の合格祈願のおかげだと言ってもらえれば、偽善に満ち溢れた私の薄汚れた心もきっと成就するであろうと、そういうものなのである。

 

当の本人は大変ありがたがっていた様なので、このことはもう少し伏せておくことにしよう。

今後1ヶ月以上に渡る戦いにおいて、後輩諸君の武運を祈っている。

自転車の巻

自転車も悪くないなと思った。

 

最近、なにかと自転車に乗る機会が多くなったが、本来私は徒歩愛好家である。自慢ではないが、高校生の時に新宿から駒沢公園まで歩いたことを皮切りに、高校から自宅まで13kmを踏破し、新宿から自宅まで、自宅とスカイツリーの往復など、10km以上の距離を何度も歩いたことがある。挙句の果てにはサークルの合宿の自由時間を利用して山中湖を1周し、周囲にドン引かれるという芸当までこなしたくらいである。

 

しかし、ついこの前近所のBOOKOFFに向かって自転車を飛ばしている時、私は少しだけその面白さに気づいてしまった。自転車に乗っている時の景色が、忍者ランに似ているのである。

 

忍者ランとは私が勝手にそう呼んでいるだけであって、マリオランとかソニックランとか呼び方は様々あるだろうが、要は屋根の上を人が飛んだり跳ねたりするゲームのようなものだ。

このゲームを遊ぶのに必要なものは想像上の忍者、イマジナリー忍者のみである。これは同様にイマジナリーマリオでもイマジナリーソニックでもイマジナリールフィでもイマジナリー孫悟空でもイマジナリー棒人間でも誰でもよい。想像力のない人は、自分の右手か左手の人差し指と中指で人のようなものを作ってくれればそれで事足りる。

そして遊び方も至ってシンプルで、高速で通り過ぎる景色の中で、主人公である忍者なりマリオなりその他諸々に対して、適当なタイミングでダッシュコマンドを入力し、その主人公を建物の屋根から屋根へ、地面から地面へ、電線から電線へと飛び渡らせるだけである。読者諸兄の中にも、特に特急電車で長距離を移動している時に遊んだ方がいるかもしれない。

 

そしてここからが最近の私の気づきなのだが、自転車に乗ると、その忍者の気分になれるのである。

自転車ゆえ、ジャンプコマンドの入力は不可能だが、人の具合、車の具合、道の具合、信号の具合に合わせて絶妙な加減速を行うことによって、様々な障害物をスルスルと抜けていくことができるのだ。

自転車という、徒歩と車のちょうど中間のような乗り物(道交法上、自転車は軽車両のため車に分類されるが、そんな些細なことを気にしてはならない)であるからこそ、この奥ゆかしいゲームを楽しむことができるのであり、これは徒歩にも自動車にも味わうことはできない。元の忍者ランにもある絶妙なチート感を兼ね備えている、自転車だからこそ成し得る芸当なのだ。

 

私は自分の自転車を持ち合わせていないものだから、毎度毎度母親に頼み込んで自転車を借りている。そのせいであまり好き勝手に乗り回すことはできないが、いつかもっと余裕があれば、自分の愛車を購入することも検討しようと思う。

さて、次は自転車でどこまで行こうかな。

使いどころの巻

再三にわたり申し上げているが、私には計画性というものがない。否、正確には計画性が備わっているものの、その使いどころを間違えていると言うべきかもしれない。

 

人には様々な能力が備わっていて、それは私も例外ではないと願いたいが、如何せんその使いどころを見極められないと、その能力は最早ないものと同義になってしまう。かの名探偵エルキュール・ポアロの灰色の脳細胞も、彼の所に数々の難事件が舞い込んでくるからこそその能力を発揮できるのであって、彼がもし完全に事件の発生しない、または発生したとしても直ちに解決してしまうような近未来型サイバーシティーにでも住んでいようものなら、その力は一生日の目を見ることもなく、彼はただの偏屈ジジイに成り下がってしまうかもしれないのだ。

 

私の中の計画性という名の灰色の脳細胞は、せいぜい旅行の計画を立てる時か、目的地までの経路検索をする時か、或いは旅行の目的地までの経路検索をする時にしか使われていない。更に日頃の痴呆症も相まって、日常生活においてこの機能はほとんど使われることはないのであった。そのおかげで、今でも提出日前日になってようやく大学の課題に気づくことが多々ある。

 

今日も、来週に迫った期末試験の勉強と、明日に迫った出席レポートの提出と、ゼミの卒論テーマ候補決めと、提出までに約26時間分の動画視聴が必要(になりそう)な締切2週間前のレポートと、再来月に迫った就活解禁の存在を全て考慮に入れず、今日行かねばもう二度と行けないかもしれないという思い込みだけで、自転車で片道1時間かけてエヴァ旧劇を見に行き、帰りの1時間で見た内容をほとんど忘れるという大ポカをやらかした。これだけで私の計画性のなさと記憶力の弱さを示すには十分なエピソードだろう。

 

私ももっとこの才能の使いどころをきちんと見分けられれば、今頃期末までの提出課題を全て終わらせ、就活の対策を万全に済ませることができたのかもしれない。ましてやそれだけに留まらず、スポーツ選手にも天才的な小説家にもスーパー神絵師にもイケメンにもマッチョにもポケモンマスターにもサードチルドレンにもなれたかもしれない。

だがそんなことは全て絵空事であり、今ここには山積みの課題と読んだのに内容を忘れてしまった本に埋もれて、金魚のように口をパクパクさせて今にも圧死しそうな私がいる。

もしかしたら、私の脳細胞が灰色なのは単に血が巡っていないだけなのかもしれない。

悪夢の巻

結局、私が雪に染まる街並みを拝むことはなかった。

なぜなら、東京でも雪が降っていた(かもしれない)時間帯、私は悪夢にうなされていたのである。

世界線が違えば私は鬼退治によって全国的なヒーローになるところだったが、生憎ここは無限列車ではなく都心から少し外れた場所にあるマンションの一室。圧倒的な実力ととっつきやすい人柄で国民的英雄になる夢は潰えたが、ここでひとつ、私を幾度となく襲う悪夢の話をしよう。夢であるため、肝心な部分が曖昧だったり、論理が飛躍したりする部分もあるが、ご承知頂きたい。

 

夢の中の私は、襟の詰まった学ランのようなものを着ていた。恐らく中学生だと思うが、背にランドセルを背負っていたから小学生なのかもしれない。

私は学校の教室を出て、1人で下駄箱に向かって階段を下っていた。どうやら私は他の生徒から仲間はずれにされているらしく、私の周りには人っ子一人寄りつかない。皆私に蔑視を向けながら、私に近づかないよう遠回りをして階段をそそくさと駆け下りて行った。学校の空気は深い灰色に染まっている。私の仲間はここにはいないようだ。

 

私が下駄箱に向かう長い階段を降りていると、突如“悪夢”のような、おぞましく、そして不可解なことが起こった。

私の斜め前を歩いていた生徒の左肩が破裂したのである。

先程まで普通に友人と会話をしていた少年の左肩が一瞬にして空気が入れられた風船のように膨らみ、そして破裂した。少年の左腕が宙を舞い、血飛沫が学校の壁を赤く染める。彼はそのまま絶命して階段にパタリと倒れ、周りにいた女子生徒の叫び声が校内中に響き渡った。

 

私はその時、これは何かしらの超能力者か霊能力者、あるいは“悪魔”かその類の力を持つ者の犯行と考えた。そして、それは他の生徒にも共通していたらしい。全ての生徒が、見えない何かから逃げるように一斉に駆け出した。私もその中で一生懸命外の世界を目指して階段を駆け下りたのだが、その道中でも悲惨な光景を目の当たりにした。ある者は右膝が、またある者は左腰が破裂し、腹部中央に風穴が開いた者や、ついには頭部が破裂した者までいた。校内は、灰色の空気に赤紫色の血が混じり、どす黒い雰囲気が漂っていた。

 

なんとか命からがら下駄箱までたどり着いた私は、そのままガラス戸を突き破って外に出ようとしたが、異様な雰囲気に飲まれてはたと立ち止まった。

後ろを振り返ると、他の生徒達が怯えるような目で私を見つめ、息音をも漏らさんとばかりに口を閉ざしている。

その時私は初めて、自分がこの事件を引き起こした“悪魔”、その張本人だったことを悟るのである。

 

ここで不覚だったのは、私があまりにもこの夢に耐え切れずに起きてしまったことであり、そのせいでこの夢の続きを見ることはなかった。

しかし、私の記憶の限りでは、私はこれと似たような夢を、不定期的に数年前から複数回見ている。なぜこんな悪い夢を複数回にわたって見なければならないのか、甚だ疑問ではあるが、そうは言っても見てしまうのだから仕方がない。

せめて見るなら、もう少し明るく楽しい夢を見たいものである。

しりすぼみの巻

日が傾き始めた午後4時、私は散歩に出かける決意を固めた。

 

夜更かしからの昼起床によって荒れ狂っている生活リズムが生み出した灰色の絶望感と青紫色の閉塞感は、我が小城をたちどころに包み込んでしまった。

世間は成人式だなんだと様々な意味で盛り上がりを見せているが、私はそのような華やかな場とは無縁な人間であって、なんなら昨年の成人の日すら、まさに今日と同じようなことしかしていない。もはや思い出すに値しないような日々を過ごしている。

 

そんな中、TwitterInstagramという名をつけられた虚空を眺めていると、ふと道端でメジロの雛が落ちていたというツイートを見かけた。犬も歩けば棒に当たる、人も歩けばメジロに当たるのである。

そこで私は、我が町にもメジロの雛が落ちていないか探してみようという名目のもと、このおぞましい空気に包まれた小城からの戦略的撤退を企てた。ヒートテックの長袖超極暖という最強の盾を手に入れた私にとって、真冬並みの寒波という矛はもはや敵ではなく、この企てはすぐさま実行に移されたのである。

 

4時に家を出た私は、タイムリミットの5時に間に合わせるべく、近場の親水公園や川のあたりをくまなく捜索した。

しかし、結局収穫はなし。出会えたのはメジロではなく、ずっとこの辺にいるカモの群れと、近所に住み着いている白い野良猫と、これまたこの辺に住み着いている大きな鳥と、恐らくだいぶ前に絶命し誰にも気づかれず放置されていたであろう、干からびた蟹の死骸であった。

 

肩を落として鬱屈な雰囲気の小城に帰ると、その空気はさらに重くなって、どうしようもなくなってしまった。

明日は都心でも雪が降ると言う。諸悪の根源である半狂乱の体内時計を正すべく、明日の朝の雪化粧を楽しみに、今日は早めに寝るとしよう。

アマングアスの巻

初めてアマングアスというゲームをやりました。

 

クルーメイトの立ち回りは意外と楽だったけど、インポスターの立ち回りがマジで全然わからないので、インポスターで上手に立ち回れるのが羨ましいです。

 

今回はインポスター1人だったので結構単純だったけど、2人になるともっと複雑で面白くなりそうなので、次はもっと大人数で出来たらいいなと思いました。

 

今日は急ぎなので、とりあえずこの辺で。

それではまた明日。

衝動の巻

机の上には、2冊の新書と6冊の文庫本が置かれている。そのうち半分は、森見登美彦の小説であった。

 

休日の昼間に暇を持て余して、溜まっていた映画の録画を見ていた。

タイトルは「夜は短し歩けよ乙女」。星野源花澤香菜が主演の声優を務めた、森見登美彦の同名小説が原作のアニメーション映画である。

私は星野源が主演というだけで劇場まで映画を見に行ったのだが、久しぶりに改めて見返すと、心底どうでもよさそうな小さなことを無駄に大きく広げ、まくしたてるようでありながら軽妙なその語り口に感服してしまった。

そして映画を見終えて原作を読み返した結果、私はその踊るような文体に完全に心を鷲掴みにされてしまい、他の小説も読んでみたいといてもたってもいられなくなってしまった。

幸い貯金箱を開いてみたら、使い古されて歪んだ5000円札が1枚残っている。こういう時のために貯金はしておくものだと思いつつ、私はその一葉をそっと財布に忍ばせ、古書店に自転車を飛ばすことを決意したのだ。

 

正月の明けたブックオフは、年末の大掃除で処分されたらしき本で賑わっていた。

昨年の緊急事態宣言以降、このブックオフには2ヶ月に1回くらいの頻度で通っていたが、小説を買いに来たのは初めてである。

小説というのは、実用書に比べてパッと見で当たり外れがわかりにくく、それでいて話を理解するのにそれなりに体力を使うものだから、最近は買ったり読んだりするのを少し避けていたところがあったけれど、今回は明確に読みたい本が決まっていたのがよかった。他の作家には目もくれず、躊躇なく森見登美彦の棚を探した。

彼の著作は先述の「夜は短し歩けよ乙女」以外読んだことがなかったが、そんな私でも名前くらいは知っている「有頂天家族」と「四畳半神話大系」があったのでそれを手に取った。あとは彼のデビュー作の「太陽の塔」と、完全にジャケ買いの「夜行」を手中に収め、その他諸々その場で気になった数冊を合わせてレジに持ち込んだ。合計で980円。ブックオフは、お財布事情に一抹の不安が翳る私を救うために作られたお店かもしれない。そう思いながら会計を済ませた。

 

こうして話は冒頭に戻る。私の机の上には、森見登美彦が4人もいる。森見登美彦のおしくらまんじゅうだ。

この均衡状態を崩すのはまた別の機会になるけれど、全てを読破するのが今から楽しみである。

さて、どれから読み進めてやろうか。