独り言

本当に独り言です

お見舞いの巻

先日倒れた伯母のお見舞いに行ってきた。

親戚のお見舞いに行くのは乗り気ではないが、

行かないとそれはそれで怒られるので行くしかない。

 

親戚のお見舞いに行くのが嫌な理由は主に3つある。

1つ目は、

病院という空間が苦手だからだ。

これは私が行ったお見舞いが、

全部癌や脳出血などの重い病気だからなのかもしれないが、

周りにあるもの全てが、

終末を迎えるためにあるような気がしてくるのだ。

ありとあらゆる物が、

死を待ち侘びているような気がして、

そんな中にぬけぬけと入っていこうもんなら、

生気を喰らってやろうかと言わんばかりに、

ありとあらゆる医療器具が、

所狭しと並んでいる。

なんというか、

生きていることが許されない空間のように思えてくるのである。

全部私の被害妄想に過ぎないが。

 

2つ目は、

お見舞いに行くと嫌でも喋らなければいけない感じになるからだ。

親戚なんぞ年に一度会うか会わないかくらいの人が殆どで、

そんな人のお見舞いに行って、

一体私は何を話せばいいのだろうか。

かといってなにも喋らないと気まずいし、

私が行ったところでなにもできないのだから、

いっそ行かなくてもいいのではないかと思ってしまう。

これは非常に保守的な私の言い訳なので、

無視してもらって構わない。

所詮私はその程度なのだ。

 

3つ目は、

私が親戚の中で(多分)最年少だからだ。

私が(確か)私の家系の唯一の子孫であるために、

大きな病気をしたりすると、

私はすぐお見舞いに駆り出される(?)のだが、

親戚が私が見舞いに来るのを心待ちにしていると思うと、

私が会いに行ってしまったら、

そのまま死んでしまうのではないかという妄想に駆られるのである。

もし本当に私に会いたいなら、

私に会うまで生きていてほしいし、

私に会うまで生きていられるのなら、

私が会いに行かなければずっと生きていられるのではないか、

そんな風に考えてしまうのだ。

なんて浅はかなんだろうか。

 

お見舞いに行って唯一役に立てることといえば、

代わり映えしない病室の風景に、

少し濁りを与えることくらいだろうか。

何も無いよりはマシであろう。

私も一度くらい入院というものを経験してみたいと、

興味本位で言っているが、

絶対的に入院はつまらないものだと思っているので、

まぁその気を紛らわす程度に、

私の存在がなるのであれば、

少しくらいは行ってやってもいいかなと、

たいそう上からの物言いをして、

今日はこれまでとさせていただく。

 

別に親戚のお見舞いに行くのが嫌なだけであって、

病気が治ってほしくない訳ではない。

できることならば無病息災、

これに限るのである。

 

では。