独り言

本当に独り言です

脚本家の巻

サークルに入って一年半が経った。

サークルの最高学年になった。

私には何ができるだろうかと考えた時、

私には書くことしかないように思えた。

 

たかが一年半だ。

所詮素人に毛が生えたレベルの技術だ。

そんなの一年早く生きていたかどうかだけの差だ。

ひとつ下の後輩だって、

時間が経てば勝手にこれくらいの技術など身につくのだ。

大して難しいことじゃない。

だって私も素人なんだから。

素人だったんだから。

 

奇跡的に後輩より一年早く生きただけで得た技術を振りかざしても、

なんにもならない。

なんにもなりやしない。

むしろ後輩の方ができるんじゃないかということばかりある。

私よりも役に立つ人間など、

サークル内だけですらごまんといる。

付け焼き刃の技術じゃ太刀打ちできない。

そんなことはわかっている。

 

だから私は書くしかないのだ。

小手先の技術に頼らずに、

私が想像したもの、

私が伝えたいものを書くしかないのだ。

私の書く文章に、

私の書く脚本に、

価値を見いだしてもらうためには、

それしかない。

それが自称脚本家としての、

私の覚悟なのだ。

 

幸いサークルの後輩にも、

私と同じように脚本を書いている人がいる。

彼がこのブログを読んでいる前提で言うが、

私は彼のドラマ脚本が嫌いである。

 

彼は色々な所から着想を得て、

色々な話を猛スピードで書き上げる。

単純に「話を思いつき、完成させる」という意味では、

彼の方が能力は上かもしれない。

その能力が妬ましくて、

彼のドラマ脚本が嫌いだと言っている可能性は0ではないが、

私が彼のドラマ脚本を嫌う理由は、

「彼の伝えたいものが見えないから」だ。

 

彼の作品を聞くと、

まるで落語を聞いているような、

まるで四コマ漫画を読んでいるような、

そんな感覚になる。

登場人物が出てきて、

面白いことをやって、

キレイにオチをつけて、

おあとがよろしいようで。

 

これはドラマではないと、

どこかで私が叫んでいる。

私の中のドラマはもっと人間味に溢れていて、

色々な感情が混ざりあって、

複雑怪奇な中をどうにかこうにかくぐり抜けるような作品なのだ。

 

これは私の感覚であって全体の感覚ではないから、

彼が落ち込む必要は一切ないし、

私も彼を陥れようとしてこのようなブログを描いている訳ではないのだと、

少しだけ弁明させていただく。

申し訳ない。

 

彼の書く脚本と私の書く脚本は少し違うのだ。

 

青く見える隣の芝に、

私が勝手に対抗心を芽生えさせてるだけなのだ。

 

彼は彼の脚本を書けばいいし、

私は私の脚本を書く。

 

これは、

私の自称脚本家としての意地なのだ。