独り言

本当に独り言です

自制心の巻

その昔、ドイツの哲学者ニーチェはこう言った。

一日に一つ、何か小さなことを断念する。最低でもそのくらいのことが容易にできないと、自制心があるということにはならない。(「超訳 ニーチェの言葉」より抜粋)

今日は、自制心の欠片もなかった私の話をしよう。

 

2月も既に折り返しに入り、本来、就職活動への準備に追われているはずの私は、未だに自己分析を終えることが出来ず、そのくせ就活なんて今からでも頑張ればどうにかなるだろう、という能天気ぶりを発揮し、毎日を超マイペースに過ごしている。

今日も、奇跡的に午前中に目覚めた私は、昼食前に小一時間ほど自身の過去と向き合い、昼ごはんを食べると、大して頭を使った訳でもないのに「疲れた」と言って、自室の椅子にもたれてボーっとしていた。

 

ふと、カーテンの隙間から部屋に迷い込んだ太陽が気になって、私は椅子から立ち上がり、窓の外に目をやった。

するとそこには、春めいた半透明の空が広がっている。

スマホで天気を確認すると、外は18度もあるらしい。

純然たる春の陽気である。

 

ここで、散歩大好きマンの異名を持つ楽観的な私の心(仮に“私α”とする)がこう言った。

「こんな素晴らしい春の陽気を今感ぜずして、いつ感じると言うのだ。何としても外に出なければいけない!」

私は、私αの意見に激しく同意した。この1週間、ろくに家から出ていない私を見かねた春が、自ら私に手を差し伸べてくれているのだ。この好機を逃す訳にはいかない。

 

しかし、私αの悪魔の囁きが終わると同時に、悲観的で勤勉な私の心(“私β”とする)が現れてこう言った。

「何を言う。お前は今日、自己分析を終わらせるつもりではなかったのか。ただでさえ予定より大幅に遅れているというのに、これ以上遅らせると言うならば、お前はどのようにして責任をとるつもりだ。」

 

私は苦悩した。

私αの言うことは、とても魅力的である。

だが、一方で私βが言うことも正論である。

私は部屋の中を右往左往して、どちらの私について行くべきか、30分ほど思案した(思案するふり、と言った方が正しいかもしれない)。

 

この話のオチは既に冒頭に記してしまっているので、これ以上特筆すべき点はないだろう。

強いて一つ言うなれば、近所の公園の梅の花は、とても綺麗に咲いていた。