クーラーの巻
夏が始まり、我が家にもクーラーが導入された。
私は、クーラーを入れていたら夏本番の暑さに勝てなくなるから、なるべくクーラーを使わずに夏を乗り切りたいという、数十年後に熱中症で真っ先に死ぬタイプの人間である。まぁ、数十年後には気温がありえないぐらい上昇し、クーラーなしでは過ごせないような気候になっている可能性もあるので、そうなった場合はもう少し早く死んでいるかもしれない。
そういう訳で、私は今日もクーラーの使用を頑なに拒んだ。鋼の融点が1,400℃前後であることを考えれば、たかが30℃で私の鋼の意思が揺らぐはずがない。
私は暑さに耐えながら、自室で静かに本を読み始めた。
するとそこに、母がやってきてこう言ったのだ。
「リビングはエアコンつけたから、あんたも本読むならリビングで読みなさい。」と。
我が家には、先代が置いていったエアコンが2台あって、1台が私の部屋に、もう1台がリビングにあった。その1台を母は稼働させたのである。
正直、正直に言って私は動揺していた。
はっきり言おう。30℃は暑い。何をどう考えても暑い。こんなクソ暑空間に好き好んで長居するやつの方が頭がおかしいし、涼しさを享受できるのであれば、ありがたく享受しておいた方がいいに決まっている。
しかし、ここでクーラーの効いたリビングに行ってしまえば、私は夏に負けたことになる。
更に、母の「リビング、クーラーついてるよ」に惹かれて私がリビングに行ったとなれば、普段あれだけクーラーをつけないと頑なに言っている私も、結局クーラーの恩恵を受けたいのだと、結局は痩せ我慢をしていただけなのだと、そう思われるに違いない。そうなれば、一巻の終わりである。
私は一瞬躊躇ったが、再び意識を本に戻した。
全身から汗が吹き出し、カーペットには汗染みができていた。机には腕を置いていた跡が残り、気のせいか本の端っこが少し湿っているように感じた。
結局、私はその30分後、母親の3度の勧告に耐えかねたという体で、クーラーの効いたリビングに移動することになった。
扉を開けた時のひんやりした空気は、少しだけ敗北の匂いがした。