独り言

本当に独り言です

見解の巻

Twitterで話題になっているトピックを見ると、ついつい自分の見解を発言してみたい気持ちに駆られるが、何となく思いとどまって、発信することを控えている。

 

これは単純に「遅いインターネット」を読んで、安直な私はSNSからの距離をとろうとしているという面が大きい。

要は、発信しているのではなく、発信させられている。そうならないようにするための、一種の自衛活動である(内容がうろ覚えなので、また読み返そう)。

 

だが、自分の意見を述べることは、私にとってもそれなりに気持ちのいいことだ。

気持ちがよくなければ、こんなブログは書いていないだろう。

 

そして、正直色々見解を述べてみたいこともちらほらある。

例えば、昨日一昨日くらいに一部で話題になった「美術館女子」とか、今日たまたまTwitterで見かけた#Atuu とか、そういう面白そうなトピックに対して意見を発信したい気持ちも少しはある。

最近注目を集めているBLM問題にも、ニワカ程度だが興味はある。

 

しかし、ここでやってしまってはいけないのが、「全てを理解した気になって結論を出す」ことなのだろう。

 

研究者や批評家が、ある程度の背景知識や情報を用いて、意見を表明したり、各自の暫定解を求めたりするのはまだしも、ただのド素人が一部の情報に触発されるような形で、全体を知った気になって、各々が“本質”を語り出すのは、少し間違っている気がする。

 

ただ、素人だからといって意見することが間違っていることかと言われればそうではないし、発言する権利は誰にでも与えられている。

 

ここで重要なのは、物事の一面を見ただけで全体を把握した気にならないことと、批判を受け入れて議論をする余地を残すことだろう。

 

このブログもそうだが、全部がちゃんとしたソースのある意見ではない。

だからこそ、私も書き手として、間違いを認める努力はしなければいけないと思っているし、本来ならば、もっとソースを準備した上で発信する必要があるのかもしれない。

 

私は、もう何が正しくて何が間違っているのかを判断するのが難しく感じるようになってしまった。

とりあえず、私はSNSとの向き合い方をもう一度見直す必要があるだろうし、それまで安易な見解の表明は慎むべきなのかもしれない。