独り言

本当に独り言です

どこでもドアの巻

どうも。

いきなりですが、私は最近ずっと「どこでもドアが存在する未来」のことを考えています。

本当にいきなりですね。

 

気づけば大学3年生の6月。院進や留学を考えなければ、就職活動という言葉が頭をよぎるようになってきました。

そして就活に取り掛かるにあたって、自分の人生について、また将来について考えようと思った結果、私の思考は「どこでもドアがある未来」にたどり着いたわけです。

 

作品の設定では、ドラえもん誕生まで残り約100年。

単純に考えて、ドラえもんが誕生する前に猫型ロボットの大量生産、流通、ひみつ道具の開発が行われるわけで、その場合私の存命中にどこでもドアが発明される可能性も十分に有り得ます。

ならば、「どこでもドアのある未来」を考えることも、なんらおかしくありません。そういうことです。

 

「ありとあらゆる空間を繋ぎ、物体を瞬間的に移動させることができる」という意味では、どこでもドアは夢のような道具ですが、本当にそれが完成するとしたら、未来の生活や価値基準はどうなるのでしょう。

 

まず気になるのは、物流の問題です。

どこでもドアがあれば、物を運ぶ必要がなくなるので、物流業界は間違いなく大打撃でしょう。

逆に、消費者も自由な移動ができるならば、スーパーなどの流通業者は要らなくなるし、引越し業者もほとんど必要ないでしょう。

ECの概念も恐らくなくなります。だって、ネットで買わなくても、気になったら現地に行って直接確かめればいいのですから。

生産拠点と販売拠点が同じ場所になる可能性は、非常に高いと思います。

 

次に気になるのが、公共交通機関の存在です。

一瞬で移動することができる世界で、公共交通機関が生き残るためには、人々の間に「わざと時間とお金をかけて、移動そのものを楽しむ」精神が必要でしょう。

それか、どこでもドアの1回の利用金額がバカ高ければ、公共交通機関が生き残る可能性もあります。

 

そして、防犯の問題も気になります。

どこでもドアで移動できるようになれば、自宅にいながら他人の家に忍び込んで、盗みを働くことも可能です。

そうなった場合、どういう防犯警備の仕組みが存在するのか。恐らく防犯カメラはほぼ無意味でしょう。

 

さらに、どこでもドアでの入国は可能なのか。自分はどこの国の人間で、どこに帰属しているのか。という問題も発生するでしょう。

移動が自由になることで、国の存在や経済など、様々な分野に影響が出るのは必至です。

 

このように色々考えてきましたが、こんなくだらないことでも、真面目に考えてみると案外面白いものです。

こういうことばかり考えて生きていられれば幸せですが、生憎そうもいきません。

 

ということで、私はそろそろ現実に戻りたいと思います。

またいつか、どこでもドアのある未来でお会いしましょう。

それでは。