輝きの巻
カーテンを開けた時の眩しさが、なんだか新鮮でした。
基本的に日中はカーテンを締め切っていて、外出も日が傾いてからのことが多かったので、朝カーテンを開けた時に、地面からの照り返しがとても眩く感じました。
部屋に引きこもっていたせいで、夏の輝きすら忘れかけていたことが、少し残念に感じられます。
部屋の中にも電気はあるので、明るくすることは出来ますが、光ることと輝くことには何か違いがあるような気もします。
同じ光源であっても、太陽は光るとは言いませんが、電球は光ると言います。
電球が輝くと言うことがあるかはよく分かりませんが、体感的には言ってもおかしくない気はします。
イルミネーションが光ると、イルミネーションが輝くにも違いがあるように感じられます。
こうやって例を羅列していくと、「光る」は動作を示しているのに対して、「輝く」は状態を示しているような気がしてきました。
明かりが点いたり消えたりするものは「光る」、ずっと点きっぱなしの状態が「輝く」。
どうでしょうか?何となくしっくりくるような気がします。
ですが、そうすると「栄冠に輝く」などの「輝く」の説明がつかないような気もしてきます。
それに、イルミネーションは明かりが点いたり消えたりするのに、「輝く」を用いることもあります。
何とも違いがハッキリしません。
電子辞書に入っていた明鏡国語辞典第2版では、要約すると、
「輝く」…輝かしい光や美しい光を放つ(反射する)
「光る」…光を放つ。光を反射させて輝く
のようになっており、「美しさ」の部分に多少違いが出ているように見えます。
そう言われると、太陽に対して「輝く」を使い、照明に対して「光る」を使うのも、何となく理解できてきました。
そうすると、照明も美しければ「輝く」と言うだろうし、太陽も美しくなければ「光る」と言う可能性だってあるでしょう。イルミネーションに「輝く」を用いるのも、イルミネーションに何かしらの「美しさ」を感じているからと言われれば、経験則からすれば納得できるようにも思えます。
しかし、「太陽が光る」という文はあまり見たことがありません。何故でしょう。
人類皆全て、太陽の光は美しいものだ、という認識で生きているのでしょうか?
考えれば考えるほど、謎は深まるばかりです。
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