独り言

本当に独り言です

狐の巻

我々は時に音楽というものを聴く。移動中、勉強中、料理中なんて場合もあるかもしれない。音楽を聴くタイミングは人それぞれであって、場所も時間も選ばないものだから、自室で一人で聴いてもいいし、ディスコで見知らぬ誰かと踊りながら聴いてもいい。家族とリビングで夕食を共にしながらテレビの音楽番組を眺めていてもいいし、橋桁の下で孤独に苛まれ、大粒の雨を降らしている時に聴いてもいい。

 

我々は音楽を聴くと、時たま自分がカッコよくなったり、かわいくなったり、はたまた自分の気持ちを代弁してくれていたりするように感じることがある。例えばKing gnuを聴いている時や、星野源Suchmos椎名林檎aiko、藤井風、Perfume、などなど、人によってそう感じる歌手も歌も違うだろう。

かっこいい曲を聴くと、頭の中に深夜の都会をドライブしているか、昼間の海辺をドライブしている画が思い浮かぶ人は必ずいるだろうし、自分の気持ちを代弁したような曲を聴けば、その嬉しさと安心感に救われたような感覚を見出す人もきっといるに違いない。

 

無論、これは魂の補強であって、そんな曲を聴いたところで我々は自分という肉片から離れることは出来ず、途端にかっこよくなることも、かわいくなることも、自分がこの世に認められることもない。ましてや、我々と彼らアーティスト達は平行どころかねじれの位置に存在しているのであって、その世界は線をもってしては到底交わることはなく、面をもってしてもようやく1点で交わることがあろうかなかろうかという具合である。

 

しかし、我々は好みの曲を聴くと、なぜだか少しだけ強くなったような気がするのだ。まさに「愛してるの響きだけで強くなれる気がしたよ」である。このような状態にある人間のことを、私は勝手に「曲の威を借る狐」と呼んでいる。音楽に虎ほどの威があるかは別として、当の本人は何もしていないけれど、勝手な解釈のおかげでちょっとだけ強くなれるのだから大変お得である。

 

こうして我々は、他人の著作物の蜜を存分に味わって、ダイジェストのワンシーンにしかならない人生を歩んでいる。ただ、重要なのはその善し悪しではない。別に狐であろうと自分を化かして楽しいのであればそれでいいのだ。威を借るとて別に誰かに不利益を被る訳ではない。

 

私だって、今日も明日も狐となって、音楽の威を借りて堂々と生きる一人なのである。