敗北の巻
散髪に行った。
私の行きつけの床屋は、店員との会話がない代わりに、店員の指名ができないという、なんともスリリングな床屋である。もちろん代金もそれなりの値段なので、見た目への執着がほとんどなく、財布の中身が絶望的な私にとって、非常に優しい店であることに違いはない。
私が床屋に着いた時、店員は2人、客は5人ほどが列をなして順番待ちをしていた。
私はとある店員の姿を認め、一瞬店に入るのを躊躇った。その店員とは、昔一度、私の髪型をあられもない姿にしたその人である。
正直、ここで引き返すこともできたのだが、私は今日までに2回、店の前まで来て散髪を諦めるという経験をしていた。一度は臨時休業、もう一度は怒涛の混み具合にしり込みしたことに起因する。
そして流石に3度目となると、私にもう引き返す気力は残っていない。私は2分の1を引かないことを願って、床屋に入店したのであった。
察しのいい読者の方なら想像つくだろうが、こういう時の悪い予感というのは的中することが多い。
30分後、私は過去にあられもない髪型を作り上げた張本人に、髪を切られていたのであった。
いつも通りの注文をして目をつぶった私であったが、開始早々に違和感に気づいた。髪を切られている手前、無防備に目を開けて鏡で姿を確認することはできないが、店員の手つきで既に髪型が失敗に終わっていることは容易に想像ができる。
こうなると、私に残された道は2つであった。
1つは、完成した絶望的な髪型に対し、何も言わずに過失致死で済ませるパターン。もう1つは、完成した髪型から少しずつ店員に指図を入れて切り直させ、なんとか過失傷害までもっていくパターンだった。
どちらを選んでも助かりはしないが、どうせならまだ傷は軽い方がいい。だがよくよく考えると、絶望的な人にさらに手を加えられてもより絶望的にしかならないのではないか、とも思えてくる。
結局私は、完成された絶望的な髪型を前にして、その時できる最大限の笑みを浮かべて「ありがとうございます」と言うことしかできなかった。
そんなこんなで現在の私の髪型は、恐らく絶望的と言ってなんら問題のない姿になっている。
この時ほど、気軽に人に会えない世の中で良かったと思ったことはない。