オンオフの巻
誰しもオンとオフがあると思う。
表と裏かもしれないし、陰と陽かもしれない。
本当にごく稀にだが、オンだけで成り立っている人もいるかもしれない。そういう人はすごく恵まれた人というか、幸せな人だと思う。すごい。
仮にオンとオフがあったとして、両方とも人前に晒すことができる人もいれば、オンは見せられるけどオフは見せられない人もいる。もしかしたら両方見せられない、あるいは見せたくないと思っている人もいるかもしれない。
私は、あまりオフは見せないようにしているタイプだと思う。というより、オフを見せることを自分で拒んでいる面がある。
それは、一言で表せば「プライドが高い」という表現で収まってしまうかもしれない。それは正しいと思う。
でも、本当にそれを拒んでいるのは、プライドではなく、恐怖だと、そう思うことがある。
心のどこかで、オフを共有したいと思っている自分はいる。なぜなら、オフの自分が抱えている問題は、自分にとってあまりにも大きくて、正直ひとりで解決できないからだ。
ただ、自分の中で、そういった問題は口に出すことすら難しいもので、人に伝えるでもないのに、諳んじようとしただけで勝手に涙が溢れてくるものもある。そんなものを人前に晒しでもすれば、恐らく私は瓦解してしまうだろう。もはや何をしでかすかわからない。めちゃめちゃボロボロと泣くかもしれないし、急に怒り出すかもしれないし、あるいは突然幼児退行してしまうかもしれない。
そんなものを、いきなり人様に見せる訳にはいかない。見せるとしても、見せる相手は慎重に選ばなければならないし、見せる場所、見せる時間だって考慮しなければならない。
それに、人前に出ている時は基本的にオンの私が対応しているし、自分が属するコミュニティだって、それは“オンの私”が所属する共同体であって、“オフの私”が所属する共同体ではない。そんな場所に“オフの私”が特攻しようものなら、共同体内の波長は乱れ、沈黙や無視で済めばまだいいものの、最悪解体するかもしれない。
結局、私の願いは成就しないし、共同体側もいい迷惑である。
そう考えると、どこまで行ってもオフの私を見せる場所は見つからなくなる。
残された道は、全てを墓まで持っていくか、どこかで決壊することに全てを委ねるかの2つだ。
こういう時、一体何が正解なのだろう。