他人のための巻
薫くん、君は「他人のため」というものは存在すると思うかい?
君は時々おかしなことを言うね。もちろん存在すると思うよ。例えば、僕の「夜な夜な我が家を訪ねてきた友人を咎めずに、部屋に招き入れてお茶と座布団を差し出す」という行為は、「他人のため」だろう?
そうだね。でも、それは真に「他人のため」と言えるのだろうか?
君は、僕のこの親切心をこけにするつもりかい?
いやいや、とんでもない。むしろ、毎回丁寧に迎え入れてくれて本当に感謝しているよ。特に君が入れてくれたこの緑茶、僕は今までこれ程上手い緑茶は飲んだことがないね。
それは単に君の人生経験が浅いだけさ。
まぁいい、それで結局、君は何が言いたいんだ?
そうだな。要は、僕はこの世に真に「他人のため」と言えるものはないのではないかと、そう思ってるんだ。
例えば君が出してくれるこの緑茶。君は僕のためにわざわざ緑茶を入れてくれているのかもしれないけれど、もしかしたら僕は緑茶が苦手かもしれない。そしたら、この行為は「他人のため」にならないかもしれないだろう?
そう考えたら、結局僕らの行為はすべて、僕らが良かれと思っていることと整合性をとるためになされた行為であって、それはあくまでも「自分のため」であって「他人のため」になされた行為ではないと思うんだ。どうかな?薫くん。
うーん。確かに、一理あるかもしれない。
だろう?
仕事だってそうさ。みんな「人のために働く」とか平気な顔をして言うけれど、本当のところはみんな、自分の生活がかかっているから仕方なく仕事をしているんだ。
僕だってスーパーのレジでアルバイトをしているけれど、あれはお金を稼いで自分の生活を豊かにするためであって、他人のために働いている訳じゃない。でなきゃあんなバイト、やってらんないよ。
それは少し言い過ぎだと思うけどね。
じゃあ君は、ボランティアの人たちの行為も「他人のため」ではないと言うのかい?
うーん。
僕はボランティアなんてやったことはないから、本当のことはわからないけれど、多分真に「他人のため」ではないんじゃないかと思う。
もちろん彼らの行為は素晴らしいことだと思うし、否定する気も全くない。だけど、仮に「誰かの役に立ちたい」という動機でボランティア活動をしていたとしても、結局その行為は自分の動機に適合した行為であって、やっぱりそれは真に「他人のため」の行為ではないような気がするんだよなぁ。
なるほどね。君の言い分はよくわかった。
だけど、僕はやっぱり「他人のため」というのは存在すると思うよ。
なんで薫くんはそう思うんだい?
君の言う通り、僕がなす行為はすべて、僕の意思の元で行われているだろうし、僕の意思と他人の意思が合致することはないかもしれない。仮に僕と君の間柄であったとしてもね。そういう意味では、「他人のため」になるということを目的として生まれる行為、君の言い方を借りれば、真に「他人のため」の行為、というものは確かに存在しないのかもしれない。
でも一方で、僕の行為が、どういう意図があったかはさておいて、結果的に「他人のため」になることは有り得る。もちろん、そうならないことも当然あるけれども、もし仮にそれが「他人のため」になったとしたら、もしかしたら誰かに褒められるかもしれないし、感謝されるかもしれない。場合によっては対価としてお金をもらえるかもしれない。そうしたらそれは「他人のため」の行為と言えるんじゃないかな?
そうか、確かにその発想はなかった。
そう言われると、「他人のため」というのも確かにあるのかもしれない。
うん。じゃあここでひとつ、君に「僕のため」になることをしてもらおう。難しいことを考えたせいで、僕の頭もだいぶ疲れてしまったみたいだ。
そうだな……。じゃあ、今から散歩に行くのはどうかな?外の空気を吸って気分転換すれば、君の頭も幾分休まるかもしれない。
なるほど、それがいい。
これで君も、ちゃんと「他人のため」になることができたな。