独り言

本当に独り言です

信頼の巻

しれっと終電を逃して友達の家に泊まりに来ました~~~~~~~~~~~いぇ~~~~~~~~い!!!

はいはいそうですよ確信犯ですよ。

普通に家に帰りたくなかったというか、

身体の動きが今日1日ずっと重くて、

特に腕とか自分の思い通りに動いてくれないというか、

強く握りたいものが握れなかったり、

肘とか腰によくわからない蟠りがあるような気がしていて、

こういうのは割とよくあるし、

対処法としてストレッチをして治るタイプならいいんだけど、

治らないタイプの時はだいたい精神的に上手くいってない時なんだよね。

今日は治らないタイプだったけど、

授業が終わってサークルに行ったら治りました。

これじゃあただ授業が嫌だっただけみたいじゃん。

学生の本分は勉学だと何回言ったらわかるんだ全く…

 

そんなこんなで何となく泊まりたいって言っただけなのに泊めてくれた友達まじでありがとう。

恩に着る。

やっぱ大学生楽しいわ。

勉強も頑張らなきゃなぁ…

 

そんな友達に信頼について書いてほしいって言われたので、

今日は信頼についてです。

 

信頼って難しいよね。

これは信頼に関わらずほとんどの感情とか関係性に関わってくる話なんだけど、

こういうのって自分からの一方通行であって、

相手との双方の関係ではないじゃん?

自分は相手のことを信頼しているって思っていても、

相手に信頼されていないことなんてざらにあるし。

逆に相手に信頼したいと思われていても、

自分は信頼したくないと思っている時だってあると思う。

 

結局信頼って言っても、

自分が相手の行動をどこまで許せるかみたいなとこあるよね。

自分が勝手に相手の行動を想像して、

どこまでだったらやられても許さないってラインを勝手に設定して、

そのラインを相手が越えてたらそれではいおしまいみたいな。

信頼という言葉で相手の行動を制限しているような気がする。

信頼という名の不寛容。

別に悪いとは思わないけどね。

 

信頼してるよって言われるのは普通に嬉しいし、

それにはこっちも信頼することで返したい気持ちもあるんだけど、

そういうのが互いの枷になってしまわないか少し不安でもあるし、

勝手に信頼しておいて勝手に裏切られるのも互いに気分はよくないじゃん?

 

無理して言葉に出して信頼してるって言うくらいなら、

態度で示した方がきっと何倍もいいよね。

それこそ勝手に感じ取ってくれって。

交流会の巻

後輩が作った流れに乗ってブログを始めてから早2ヶ月が経過したんだけど、

ブログを始めた後輩達生きてる?

なんだかんだ僕が一番まともに(まともに?)続いている気がするけどどうなんだろう?

まぁ別に彼らが続けていようがいまいが、

僕には関係のない話だけどね。

人には人のペースがある。

人には人の乳酸菌。

何言ってんだ。

疲れてるのかな。

 

今日は訳あってサークル関係ではじめましての人たちと食事をしていたんだけど、

もしかしたらその人たちもこれを見たりするのかな(自意識過剰)?

中途半端に知り合いくらいの関係で見られるのは少し怖いけど、

よくよく考えたら全然僕のことを知らない人たちも画面の向こうでこれ読んでんだな。

それならいっか別に。

僕はこういう人です。

以後お見知り置きを。

 

めちゃめちゃ新鮮な気持ちで人とお話してた気がする。

最近学科の友達数人とサークルの先輩後輩としか話していなかったので、

全く知らない人と話すのは久しぶりだった気がする。

いや嘘だわサークルの新歓期に名前も顔もうろ覚えの1年生と話したわ。

でも全く知らない同期ないし年上の人と話したのは久々だったんだな。

みんな大人で面白い人だったなぁ。

 

番組を制作、発表するサークルに所属しているから、

その人のことを知るとその人がどんな番組を作っているのか少し気になってくる。

もうちょっと早く知り合っておけば発表会見に行けたのにな…

なるべくたくさん見に行けるように、

スケジュール管理がんばります。

 

逆に外部に知り合いができたことによって、

なおさら発表会に作品を出品したいなって思った。

どうせだから色々な人に見てもらいたいし、

「僕の番組、発表会に出せるようになりました!」

って報告したいじゃん?

したくない?

僕はしたい。

ちょうど今一緒に番組を作っている仲間もその場に同席していたから余計その思いは強くなるよね。

この子にも外部の知り合いに「発表会出るよ!」って言えるようにしたいじゃん。

制作者としてはそれを言わせてあげるのがひとつの使命みたいなところがあるよね。

 

発表会に向けた審査会まであと1週間とちょっと。

最後まで気は抜けない。

なんとか発表会に出せるように頑張らなければ。

関係者各位にいい報告ができるように…

お笑いの巻

お笑い芸人ってすごいなって話。

 

自分で色々な作品の台本を考えるようになって、

改めてお笑い芸人ってすごいなってめちゃめちゃ思う。

会場のお客さんとかテレビの前の視聴者とか、

果たして何人いるかわからない聴衆の中に、

爆笑の渦をつくることができるのは本当にすごいことだと思う。

聴衆ひとりひとりの感性は違うはずなのに、

その大半に笑いという未だに解明されていない現象を引き起こさせるなんて、

どうやったらできるんだろうか。

 

自分も面白いと思ったことを書き留めたりして、

脚本の中に組み込んだり映像にしてみたりするけれど、

書いている時や撮影している時はめちゃめちゃ面白くても、

改めて見返して見ると「これ全然面白くないんじゃないか?」って思うことなんてざらにあるし、

実際これを演じている人や本番それを見る人が、

この作品を面白いと思ってくれるかどうかわからずにめちゃめちゃ不安になったりする。

 

本気で芸人とかやってる人は、

劇場とか営業とかその他色々なところで何回も練習して何回も同じ作品やって何回もフィードバックもらって何回も練習し直してるだろうから、

やっぱりレベルが違うんだな。

そんじょそこらの大学生が、

暇な時間にちょちょっと考えたような作品で、

芸人のように笑いをとることは到底不可能なのだ。

 

お笑いってめちゃめちゃ演技だと思っていて、

考えている中で自分なりの面白い言動や面白い仕草があって、

それを実現させるために練習を積み重ねているんだと思う。

だから我々が普段見ているお笑いっていうのは、

お笑い芸人が汗水垂らして作ったその芸人自身の舞台であって、

その舞台に出ている芸人は、

その世界で動く役者なのだ。

コントとか漫才とか、

色々なシチュエーションがあるし、

それにひとつひとつ入り込む芸人のやってることって、

意外と俳優とかと変わらないんじゃないかな。

まぁにわかの発言なのでマジレスしないでください()

ホントのところどんな感じなのか知ってる有識者はぜひどんな感じなのか教えてください。

 

今サークルで撮ってるVTRも、

ほんとに面白いものとして周りが受け取ってくれるかは全くわからない。

その作品が完成して人の目に触れた時、

初めて自分の感性と視聴者の感性のズレを認識するのだ。

めちゃめちゃ賭けだな、お笑いって。

空腹の巻

めちゃめちゃお腹へった…

お昼ご飯もちゃんと食べたしおやつも食べたのにそれでもまだお腹がへるってどういうこっちゃ…

 

2週間前くらいから昼ごはんの量を減らして晩ごはんを普通に食べるっていう体重管理法を試してたんだけど、

気がついたら夜ごはんも食べるのがめんどくさくなってきてしまって、

結局昼も夜も量が減ってしまった。

さらにそこに必要な夜更かし(主に課題)が加わって普段より起きている時間が長くなってしまったせいで、

摂取カロリーに対して消費カロリーが大幅に上回ってしまったのだろう。

昨日体重を計ってみてその数値に言葉を失ってしまった。

具体的に体重は言わないけど、

BMI換算すると17.5を下回る。

さすがにこれはまずい。

そろそろちゃんと食事を摂るようにしなくては。

ただの痩せこけたミイラのような身体になりたいわけではないのだ。

 

お腹がへっているせいなのかはわからないが、

こういう時ってすごいイライラしやすくなる。

食欲が満たされていないせいで、

自分の中に余裕がなくなっているのだろうか。

まぁでも今日イライラしていることに関しては、

別に空腹じゃなくてもきっとイライラしてるな。

でも空腹じゃなくてもイライラしていることは認めたくないので、

仕方なく空腹のせいにしているまである。

すまない空腹。

 

人間の三大欲求の食欲、睡眠欲、性欲って、

確かどれかひとつ欠けてもある一定ラインまでは他の欲でカバーできるって聞いたことがあるような気がするけど本当だったっけ?

まぁそこで他の欲で満たすことをしてまで食欲を抑えたいとは思わないけど。

 

空腹は最高のスパイスって言葉があるけれど、

実際本当に空腹の時って逆にお腹にものを入れるの気持ち悪くならないかな?

大学の生協で久しぶりに定食を食べた時に、

ご飯の量の多さに絶句したことがある。

よく今までこの量を軽々と食べてたなって。

いきなりたくさんのものを一度に入れると、

胃もびっくりするんだろう。

そりゃそうだよね。

ずっと晴れっぱなしだったのにいきなりめちゃめちゃ土砂降りの雨が来たらびっくりするよね。

果たしてこの例えが合っているのかは僕にもわからないけど。

 

久しぶりに食べた定食は、

調味料と油の味がした。

食事を食事として捉えられるようになるには、

意外と訓練が必要なのかもしれない。

虫の巻

ここ数週間でいきなり、虫に出会う回数が急増した気がする。いや、している。

元々東京の外れの山の中の大学だし周りは森ばっかりだし都心のオシャレ大学の数倍虫がいるのは知ってるんだけど、なんかうちの大学にいる虫全体的にでかいんだよな?

これが自然の大きさなの???

今日だって最寄り駅から大学まで歩いてるたった10分弱の短い時間だけで、

・ゴキブリ2匹

・カミキリムシ

・毛虫

・蛾

・蝶

・ミミズ

・クモ

カメムシ

とかもう名前も知らん虫とかめちゃめちゃ遭遇したんだけど、

1年間大学通ってても未だに慣れないよね。

最近ようやく「飛ばない虫はかわいい」と思い始めたんだけど、

夜歩いてると大体の虫飛んでるんだよな。

あとは暗くて見えづらい足元をこっそり歩いていたりして、

間違えて踏みそうになった時の怖さよ。

まぁ虫の足音とか聞こえてもそれはそれで嫌だけどね。

 

逆に大学付近の虫が大きすぎて、

都会の小さい虫に少し慣れつつある。

ゴキブリはどこでも嫌だけどね。

小さい蚊とか蝿とかのレベルの大きさなら、

「な~んだまた来たのかお前」くらいの気持ちで見れるようになったし、

電車の中とかでたまに紛れ込んだ虫とか見ても、

「なんでお前こんなとこ入ってきてんだよ」くらい冷静になれるようにはなった(と思いたい)。

まぁ羽音はマジで苦手なので耳の周りを飛ばれたらめちゃめちゃビビるんだけど。

 

虫の何がめんどくさいって、

動きが予測できないのと、

毒があるかどうかとかの判別がつきにくいとこなんだよな。

飛ばれたらなんの虫かわかんなくなるし、

飛んでなくてもなんの虫かわかんないのばっかりだし、

地球上に住む個体数が最も多いのって確か虫だったよね?

そんなにたくさんおらんくてもええやろとか思うけど、

それは僕にどうにかできるようなことではないので仕方ない。

むしろ我々人間が自然界から住居を分け与えてもらってるまであるので、

そんなことで抵抗するのはもしかしたらお門違いなのかもな。

だからといって家にゴキブリが出たら躊躇なく殺します。ごめんなさい。

アリとかテントウムシくらいなら掴んで外に逃がしてあげてもいいんだけどね…

 

もうそろそろ夏が来たら、

セミやらカブトムシやらのうるさい季節になる。

頼むから危害を与えに来ないでくれ~🙏

知識の巻

いつもと違うところから光が漏れてるような気がしてふと夜空を見上げたら、

十日目の月が顔を半分隠して夜空に浮かんでいた。

確かに最近雨が降ったり雲が空を包んで離さなかったり新月の期間が被ったりして全然月を見ていなかったけど、

まさかなんとなく明るい気がするという理由だけで月に気づけるとは思わなかった。

それほど月はいつも光り輝いているんだなぁ。

月の明るさって何等級だったっけ。

高校の地学でやったはずなんだがなぁ。

 

ゼミの大会でバレーボールをやるので、

友達と集まって練習してきた。

久しぶりに運動をして、

ちゃんと走ってちゃんと飛んで、

ちゃんと汗をかいた気がする。

ボールを受けすぎて痛めた右腕を擦りながら歩く。

内出血で青くなった腕は、

アンダーパスの自信に繋がる。

言ってもド素人だから、

そんなに拾えるわけじゃないけどね。

本番まであと1週間。

やらなきゃいけないことは多い。

 

電車に乗って目を閉じて、

目を開けると終点だった。

誰もいない車内を見回して、

ようやく自分が降り損ねていることに気づく。

半分寝ぼけながら開いているドアをくぐり抜け、

気づくとホームで乗り換える電車を待っている。

これはほんとに最近多いんだけど、

全然何も考えていない無意識のうちに、

電車を乗り換えていたり、

電車を降りて家まで歩いていたりする。

家までの帰り道とかは長期記憶に分類されるから無意識でも家に帰れるのは知ってるし、

酒飲みが酔っ払って記憶をなくしてても家に帰れる理由もそういう理由なんだけど、

実際それをやってる自分に気づくとゾッとするよね。

 

目の奥を絞るようなタイプの頭痛に悩まされながら家の最寄りのスーパーまで歩く。

梅雨が始まると同時くらいに咲き出した青色の紫陽花が、

小さな群れを成している。

確か土壌が酸性だと紫陽花は青くなるんだよな。

ってそんなことを考えたい訳じゃない。

 

どこかで知識を得ることを畏れていて、

知識を得ることで見える世界より、

知識がないことで見える世界に憧れている気がする。

僕が知りたい知識は理由とか根拠じゃなくて、

感覚とか表現の知識なのに、

そういう知識はあらゆるところから寄せ集めてこないと獲得できない。

その手間を惜しんでいる人間がこんなことを言うのは、

ただのないものねだりに過ぎない。

とりあえず、

辞書を引くところから始めてみようかな。

 

雨脚の巻

6限終わりに降り出した雨は、

駅に着く頃には土砂降りになっていた。

さっきまでフードを被って雨の下でじゃれあっていたカップルが、

それどころじゃないと言わんばかりに全速力で走って駅にやってくる。

繋いだ手に滴る雨が妙に生暖かい。

時は6月、

季節は4月。

 

僕が昼間に見たあの青空は偽物だったのだろうか。

2限が終わる頃には青々としていた空も、

3限が終わる頃には色を失ってしまった。

 

太陽が出るといかに葉の緑が濃くなっているかがよくわかる。

雨は冬の間に茶色く汚れてしまった葉を洗い流し、

太陽が薄い緑色をしていた葉を丁寧に磨く。

クリスマスのライトアップももう半年前か。

つまらない電飾がなくても、

お前はもうひとりで輝けるもんな。

 

雨は足音も立てずに、

どこからともなくやってくる。

雨脚が強いって言うけれど、

足音が聞こえるのはいつも雨が降り始めた後だ。

 

雨が降ったところで歩き方を調整するような脳を持ち合わせていないので、

傘をさしながら歩いても必ず足が濡れる。

自分の歩幅に対して傘が小さすぎるんだよな。

毎回つま先はびしょびしょだし、

アキレス腱のあたりもびしょびしょになる。

 

ももの裏にへばりついた長ズボンを引き剥がすように急いで歩く。

こうして歩いている間にも雨はどんどん強くなっている。

駅の雨樋の端っこからホームに水が流れ落ちて、

あっという間に滝が出来上がる。

どうせなら僕の煩悩も水に流してほしいけど、

ホームでやるのは少し違うな。

 

まるでスーパーボールかのように、

雨が地面に当たって跳ね返ってくる。

これじゃあホームについている庇も意味がない。

駅に到着した電車の屋根に打ちつけた雨が、

勢い余ってホームになだれ込んでくる。

せっかくホームで休めると思ったのに、

電車に乗る頃には全身びしゃびしゃだ。

 

ここ数日の雨は、

粒が大きくて見ていて気持ちがいい。

いつもは雨とひとくくりにされてしまうけど、

彼らもひとつひとつの雨粒の集まりなのだ。

空から落ちてきた無数の雨粒が、

コンクリートに当たって弾け飛ぶ。

その美しさをカメラに収めようと思うけど、

どうやら僕のカメラは雨を雨としか写せないらしい。

やっぱり一眼とか買った方がいいのかな。

雨粒を写すのには、

それなりの眼がないといけない。