二面性の巻
人には必ず二面性がある、と思っている。
一番わかりやすいのが、プラスの面とマイナスの面だろう。
誰にでもいいところはあるし、悪いところもある。
できることも、できないこともある。
なんでもできるように見える人もいるけど、そういう人にもきっとどこかに弱点があって、その人はただ、その弱点を隠すのがうまいだけなのだ。
人は万能ではない。
過度な期待は人に負荷をかける。
次にわかりやすいのは、多分表と裏だろう。
本当にみんなにあるかどうかはわからないと言っておくが、僕は人にはコインのように表と裏があると思っているので、いつもその裏に怯えながら生きている。
コインもそうなのだが、残念なことに我々は表と裏を同時に見ることはできないのだ。
そのせいで我々は余計な詮索をしなければならないし、逆にそのおかげで知らなくていいことを知らずに済むこともできる。
僕の場合、officialな自分とprivateの自分が存在していて、基本的にはずっとofficialな自分として生きている。
これは公共の場所にいる時だけでなく、昔の友達や親戚、親の前でもofficialな自分として生きているし、privateな自分を見せるのは相当心を開いている(または開きたいと思っている)相手か、相手のprivateな部分(とこちらが勝手に解釈している)を見せてくれた人くらいで、それ以外は自分ひとりでいる時しかprivateな自分になることはできない。
このブログは元々privateな自分が見たり聞いたり感じたりしたことを、なんとか頑張ってofficialな自分の表現に落としこむために始めたもので、文字に起こすことの抵抗は少しずつ減ってきたけど未だに本当にprivateな部分は書けないし、口にすることはもっとできない。
自分の声を通して発信することは、文字を媒介させるより何倍も労力がかかる作業なのだ。
privateな部分を出すのはとても難しい。
自分の本質を公開してさらし者になっている気がしてとても恥ずかしく思ってしまう。
privateな部分には人には言えない行動とか感情とか欲望があって、誰かに聞いてほしかったりすることもたくさんあるけれど、それを誰かに伝えることで何かを失ってしまう気がして結局伝えることはできない。
きっとね
秘密は多い方が
どうだろう
優しくなれるでしょう
いつかね
思い出した時に
苦しいくらいの痛みを頂戴