白い嵐の巻
近所に水仙が咲いているというのを知ったのは、一昨日散歩に出た時でした。
その時は時間がなかったのでスルーして家に帰ったのですが、今日は時間もあるし、春一番が吹くくらい気持ちのいい天気でしたので、じっくり水仙を見に行こうと思い、14時過ぎに家を出ました。
水仙が咲いていたのは自宅から徒歩2分ほどの所で、住宅街の一角にある小さな森の陽だまりの中で、彼女は見返り美人図のように凛として佇んでいました。
眩しい太陽に少しだけ目を背けるような表情を見せる彼女に何か奥ゆかしきものを感じた私は、彼女の目線になるべく合わせられるよう、その大きな体を小さく小さく折りたたんで、まじまじとその立ち姿を眺めておりました。
そんなことをしているうちに、私は先日購入した草花図鑑にこんなことが書いてあったのを思い出しました。
「水仙の花には芳香があります。」
このご時世、屋外であってもマスクを外すのは多少気が引けますが、幸い私の近くには彼女以外誰もおりません。
私は意を決してマスクから少し鼻を出すと、その“芳香”とやらを嗅いでやろうと、かなり前のめりになって彼女の頭に大きな鼻を近づけました。
しかし、その刹那。
どこから来たのか、またいつからいたのかさえ分かりませんが、私の頭上遥か遠くの木の枝にとまっていた1羽の小鳥から、こんな麗らかな天気とは縁もゆかりもなさそうな白い小さな嵐が放たれました。
そしてその小さな嵐は、あろうことか私のたたみきれなかった左足の中腹に着弾したのです。
鳥に糞を落とされるという経験は、10年近く昔、上野の美術館の帰りにカラスにひっかけられて以来のことでしたので、私はその嵐の爪痕を見て、大きなショックを受けました。
鳥の糞は幸運の兆しとして縁起がいいという解釈もありますが、私はそのせいでせっかく嗅いだ水仙の芳香すら思い出すことができません。これを不幸と言わずになんと言うのでしょうか。
インターネットで調べてみると、鳥の糞が服についた場合は、速やかに洗い流すのが良いと言われていましたので、私は泣く泣く来た道を引き返すことにしました。
家についたのは14時15分。たった15分の短い旅でした。
本来であれば、道端に落ちていた小さな春と小さな冬のコントラストを楽しみながら、水仙の芳しい香りを胸に悠々と散歩を楽しんでいたはずなのに、その計画は一滴の嵐によって跡形もなく吹き飛ばされてしまいました。
この借りは、冬が急ぎ足で去ってしまう前に、何としても返そうと思います。