追憶の巻
急に脳内で“会話”が始まることがある。
今日それが始まったのは、昨日僕がBOOKOFFで衝動買いしたヘミングウェイの「老人と海」を読んでいる途中だった。
今日の“会話”の相手は、恐らく女性だった。
というのも、僕は横浜の大さん橋で木の板が敷き詰められた床に寝転び、遠く広がる青空を眺めながら口から自分の想いを零していただけで、実際に相手の姿を見たわけでも、声を聞いた訳でもないのである。
ただ僕は、どうやら僕の左隣に腰掛けている存在を女性と認識しているらしい。呑気なものである。
僕は言った。
「どうやら僕は汚れてしまったみたいだ。」
“彼女”は何も言わない。
僕は続ける。
「この世界がたった1年で汚れてしまったように、この数年で僕もだいぶ汚れてしまった。空疎な支配欲に溺れ、多くの物を望むようになってしまった。幸せとは、そういうものだと思っていたんだ。でも、そうじゃなかった。」
“彼女”は遠くを見つめている。
海鳥の鳴き声が聞こえてくる。
「さっき港の見える丘公園に寄っただろう?あそこのフラワーガーデンはとても良かった。何も知らずに純真に咲く花を眺めて、それを綺麗だと思う、本当はこれだけで良かったんだ。どうだい、君もそう思わないかい?」
“彼女”は“頷いた”。僕は満足して目を閉じる。
目蓋の裏の太陽が、視界をオレンジ色に染める。
潮風がこそばゆい。
再び目を開けた時、僕は自分の部屋にいた。
時計は午後5時50分過ぎを指している。
僕は読み途中の「老人と海」を置くとキッチンに向かい、冷蔵庫にあった新品の6Pチーズを開けてそのうちの2ピースを口に放り込んだ。